スピッツ『ロビンソン』

スピッツ『ロビンソン』
9.2点
僕みたいな高校入学が2000年。中学校入学が1997年という人間は、一番J-POPが幸せだった時代に思春期を謳歌した世代である。その世界は甘く切ない素晴らしいメロディーで溢れていた。今のキッズには想像出来ないかもしれないが、売り上げ200万枚とかのシングルが普通にあったりした時代だ。―キッズの知るミスチルは、僕の知るミスチルとは大きく違う。もっとミスチルは下世話だった― そんな僕には、英米そしてラテンやらのワールドミュージックを主に聴くようになっても、意識の根底に「情緒と抑揚をたっぷり含ませた、日本的メロディー」というのへの憧れ、飢餓感というのが常に存在しているように思える。故に、行く予定なんて無かったのにフラッと不意にサラリーマンが飲み屋に立ち寄る様なノリでミスチルやスピッツが恋しくなってしまうことがある。
弾の数と現在におけるバンドの影響力ではミスチルに及ばないかも知れないが、スピッツには「ロビンソン」という曲がある。この曲には先述した「甘く切なく素晴らしいメロディー」が最も素晴らしく結晶化した作品である。この曲のリリックを借りれば「大きな力で空に浮かべたら、宇宙の風に乗る」という様な言葉を信じてしまえる普遍性がある。この楽曲と一瞬に体験したこと、つまり全く色褪せない「誰も触れない(2人だけの)国」を瞬時に呼び起こす。この曲のメロディーは魔法のようである。正に「終わらない歌」である。
「ロビンソン」のサウンドはか弱い。フッと息を吹き掛けたら消えてしまいそうなサウンドとメロディー。だけれども、この「ロビンソン」と一緒に過ごしたあの淡い景色と感情は、終わることなくあなたと共に存在するだろう。ポップスとしての素晴らしい楽曲。
The Bluetones『Expecting To Fly』

The Bluetones『Expecting To Fly』(1996年)
7.8点
「ブリット・ポップ」が何故に「ブリット・『ロック』」と呼ばれなかったのか。この理由の一つとして僕は「歌謡曲」として各バンドが機能したからではないだろうかと考えている。決して反体制なんてものでなく、どちらかと言えばブラー『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』から端を発した「グランジに対抗すべく英国国粋主義(クールブルタニア)の発動と再定義」としての側面が強いブリット・ポップは、あくまでもみんなで英国国粋主義という大きな物語を歌う「ポップス」だった。確かにキッズの時期に保守党への不満を積もらせた世代の反抗という側面はブリット・ポップにはある(だって、労働党のブレアはブリット・ポップのアーティストに接近して本当に十数年続いた保守党をやっつけんだから)。だけれども、リスナー側にも大半のアーティスト側にもブリット・ポップというのは「英国万歳!」を歌うお祭りであった。その為にはグッドなメロディーが必要だった。―実際、オアシスはグッドでビッグなメロディーを書きまくって、イギリスだけでなく世界に羽ばたいたー 故にブリット・ポップと呼ぶのである。
まだポストロックなんていうロックに対する反省という概念が生まれてなく、ブリット・ポップ真っ只中のイギリスでグッドなメロディーにフックのあるギター・リフで無邪気に数多のバンドが戯れ、青田買いの如くのバンド・バブル。そのバブルの中に残念ながら、この2010年からは埋もれて姿を探し辛くなってしまた素晴らしいバンドがいる。―もしかしたら、今のキッズにとっては、ブラーもパルプも埋もれてしまっているのかもしれない― それがこのブルートーンズである。彼らのデビュー・アルバムのタイトルは『飛べそうな予感』。正に96年のイギリスにピッタリだ。
サウンドはスミスのジョニー・マー、ストーン・ローゼスのジョン・スクワイヤの系統を受け継ぐキラキラ輝くギターと最高にグッドなメロディー(このメロディーは個人的にはオアシスを凌駕する)。もうこれだけで飛べるのだが、このギターとメロディーにピッタリな透明感溢れるマーク・モリスのボーカルが素晴らしい。そのボーカルはオアシスのリアム・ギャラガーに圧倒されてしまうだろうが(サウンドにおいてもオアシスが圧倒するだろう)、その野暮な野郎的圧倒をスルッとかわして空に飛び立ってしまう爽快感がマーク・モリスとブルートーンズのサウンドは持っている。ブリット・ポップという時代に押されて『飛べそうな予感』と控えめに宣言した冒険が何よりも瑞々しくあなたに響くであろう。
ブリット・ポップはオアシスであり、パルプであり、そして何よりもブラーである。ブルートーンズは正直、ブリット・ポップにおいて重要なアーティストでは無い。だけれども、この彼らのグッドなメロディーをなぞることは、あなたがUK好きを自称するなら、アクセスしても損はないだろう。時代に埋もれた佳作。ハイライトは、#7「Slight Return」。
曽我部恵一BAND『魔法のバスに乗って』

曽我部恵一BAND『魔法のバスに乗って』(2008年作品、シングル)
9.5点
オリコンだとか、朝の目覚ましテレビの軽部の芸能コーナーだとか、ミュージック・ステーションというテレビから流れてくる音楽が退屈で仕方ないという人はたくさんいてるだろう。単純な「僕は君がいてくれたら救われる」だとか「頑張ってね!明日は最高になるはずだよ」「僕らは世界にひとつだけ」とかひたすら過剰に人生を応援されたりする。そこにリアルを見出だせない人も多いだろう。
そして、破裂しそうな自意識を背負い、周りの友達と如何に「リア充」であれるか?の競争。そして、そこから生まれるノイズは君を部屋に閉じ籠めてしまうこともあるだろう。籠っても、携帯でmixiを開けば友達の「リア充」っぷりが目に入る。どこまでも、君は追いかけられ惨めになる。そんな君をテレビから流れてくる教科書みたいなことをばっかり歌っている音楽は部屋から外の世界へ導いてくれて、くそったれな日常を変えてくれただろうか。どうだろう?変えてくれたのなら、これ以上このレビューを読む必要は君には、無い。相変わらず渋い気持ちを隠して無理に笑って友達と付き合ってるというなら、ちょっと読んでみて下さいな。
曽我部恵一というちょっと小太りな30代のお兄さんがしてるロックンロール・バンド、曽我部恵一BAND(そのままじゃんか!)は、そんな君に「魔法のバスに乗ろう」と歌ってくれている。いきなりイントロで鳴いブレイクビーツみたいなドラムも曽我部恵一の韻の踏み方や歌い方は、今の君の足取りのようにたどたどしくて、ジタバタしている。この妙に馴れ馴れしいたどたどしさに君は夢中になるはずだ。そう、この「たどたどしさ」こそ僕らの世界なんだから。上手くなんて生きれない。ムカついてばっかりで、だけども、相手にハッキリ感情を投げれない僕たちの「たどたどしい生活」がこのサウンドにはある。そして、歌詞はもっと君を惹き付けてくれるはず。
駅の裏手 歩道橋にたたずみ 出来るだけ遠くの方を見る
いつもの空と カラフルな空想 火花を散らしてやりあっている
その気になれば 僕だってきみだってどこもまでも飛んでいける
僕らを映す鏡のような そう きれいな恋が見られるのに
邪魔をするのは心に降る雨 傘がないから濡れるしか無い
今日の水たまり 心は字余り から回りばかりで明日がこない
『魔法のバスに乗って』より引用。
この曲には、日常で上がったり、下がったりする気持ちの描写の素晴らしさがある。この行ったりきたりの攻めぎ合いから生まれる「火花を散らしてやりあっている」ことこそが「キラキラ」なんだ!というメッセージを僕は感じる。だから、その過程をすっ飛ばして部屋に閉じ籠ってパソコンばっかりに向き合わずに「魔法のバスに乗って上がったり、下がったりしながらキラキラしよう」と曽我部恵一は楽しそうに歌う。
このシングルは限定盤でもう手に入れるのは困難かもしれない(「魔法のバスに乗って」についてはアルバム『キラキラ』に収録されている)。もし、手に入れるチャンスがあるのなら、是非とも手に入れて欲しい。というのも、カップリングの「レインボーガール」も表題曲に匹敵するぐらい素晴らしいので。
