先日の話。

ある認知症の勉強会で、この言葉を知りました。

これは何かというと
*見つめること(同じ目の高さで、正面から、近く、長く)
*触れること
*話しかけること(頻繁に、優しく、前向きな言葉で)
*立つこと(立てるように支援する)
を基本とした、人間の存在(尊厳)を主眼とした看護の手法の集大成のようです。

150以上の技術と併せ持つと。

フランス生まれの認知症ケアで「魔法のよう」と称賛されているようです。

現場にいると忙しさにこういう配慮が足りず、反省してしまうこともあります。

立った状態のまま、座っている方や車椅子の方に話かけると見下ろしているように見えて、向こうの視点では「支配を受けている」ように感じてしまう。また、視野が狭くなっているため、正面から近づき見つめることが大切。

介助の際はつかまない。触れる。
つかむと恐怖を感じてしまうから、意志を活かして下から支える。

一言だけ話してあとは無言での介助もNG。存在を否定されえいるように思われてしまう。相手が心地よく思うことばを穏やかに話し続ける。説明しながら行うと安心できるし、言葉をかけながらケアすることでカラダが動く。


この手法を使うことで、お互いがシアワセになれると。
ケアする側・される側のシアワセや絆を感じることができるんだと。


なんだか、この話を見て、とても反省してしまいました。。。


これって、認知症ケアだけではなく、人と接する基本的な部分に似ていると感じてしまいました。


昨日、今日。
いつも怒ってしまい、ケアがうまくいかない方にこの方法を意識して関わってみました。

移乗介助のときも、いつもは少しかがんで声をかけていましたが、このときはしゃがんで声をかけてみました。
そうすると心なしかいつもよりすんなり声が届いていたような気がするし、
帰ることを伝えると
「あんたが帰るの、さびしいね。またきてね」
と手を振ってくれたんです。


もしかして。

色々なケアがうまくいかないのってこっち側にかなりの原因があるんじゃないだろうか。

言葉がうまく伝わってないから拒む。
拒むからこっちも介助に必要以上の力を使い、お互いの負担になる。

でも、眼を合わせて、ゆっくり伝えて、相手のペースに合わせて、頻繁に声をかけたら
ひょっとしてできること、できるかもしれないことがもっと増えるんじゃないだろうか


そう感じさせられました。

現場は大変なときもあります。
忙しいときもあります。

だからこそ、こういう接し方の基本ってしっかりとどめておかなければと思ったのでした。
バリデーション技法も、ユマニチュードもまだ勉強して序の口。
しっかり勉強して強みになるようにしなきゃ><


えみー