今日叱りました。
いつも一歩自分を外から見るようにしなさい
外からみて、今私は正しい事をしているかどうか
いつも考えなさい。
人の悪い所は寛大に
自分の悪い行いは厳しい目で
外から見て考えなさい。
…言ってる本人はどうなのか。
そりゃ聖人君子で生きてはおりません。
それでも、いいんです。
言うべき時に言うべき相手に言う事が
出来てれば、たいてい間違ってないから。
代わりの居ない大切な存在のあなただから
今日叱りました…。
「いつまでも綺麗でいたいわ…最近ちょっと小じわが増えたし~気になる…」
「わが子が愛おしいし、私の理想通りに生きて行って欲しいわ。最近反抗期で思う通りに動かなくてイライラするわ」
「財産が沢山あるから心配だ。財産が減ったらどうしよう。運用したが上手くいかない」
このような執着って誰しもとらわれがち。
ですがブッタはこれを悪とし、
執着に囚われて自ら進む道を狭めて行って袋小路に陥り易くなると言っていました。
常に自分自身正しい世界観で物を見る目を養えと説いています。
美しさは不変で無く、老衰えるもの。
当たり前ですよね。
それを理解しているのと居ないのとでは悩みを自分から作っている事になります。
子どもは自分の所有物では無く、別個の人格です。
これも当たり前。
財産が常に豊かでいるものではない
う~ん、これは努力で何とかなるものかと思いますが
経済が流動的なのは当たり前
そう考えたら、悩む前に動くって事かなぁ(笑い)
多分ブッタの教えはもうちょいストイックな気が・・・・
仏教とは常に自分自身の強い意志でもって、自分自身を見つめ直し制御して、正しい方向へ導いていくように教えられています。
ブッタは亡くなる間際に「自燈明、法燈明」ととき、
自己の救済者は自分自身である。
自分自身の意思を頼りにしていきなさい。
執着に苦しむなら、その原因をさぐり理解してこそ、苦しみから解放される。
世の中は全て原因と結果で動いている。今ある自分は全て結果であると理解すること。
そして原因を探り反省し、心の持ちようを変えていくこと。
(これが大事ですが、それを邪魔するのが「執着」という煩悩。)
執着は煩悩の中でも非常に悪い事です。
ブッタは自分の教えさえも、捨てて良いと弟子に教えています。
「貴方が悟りを開いたのなら、私の教えはもう必要ない。
これも執着の一つであるから。
その時にその場に一番必要な大切なものを選び取る。
そういう柔軟な意思が必要である。」
また、自分と言う存在も自分のものですらないと言っています。
これは、今の自分の意思を常に意識しながらも
必ずしも自分という存在は不変ではないという事です。
こういう道に行きたい、大切にしたいという意思は意識しながらも、
状況が変われば、その時に大切なものを選び取れば良い。
大切なのは今の意志。
それを軸に正しい目で世界を見ること。
過去の言葉に囚われて柔軟に動けないようでは、それも一種の執着と言うことだそうです。
じゃぁ、「武士に二言はない」っていうけれど前とやってること違うじゃないの!!~って他人から言われようが、正しい世界観で物事を見てきた結果の方向転換であれば、良いって事かしら??
なんて自由な教え!
きっと追い詰められた方たちにとっては救いになるのでしょうね。
追い詰められたって事は、何かに執着しての結果なのですから。
そんなの初めっから自分のものでも何でもなかったんだよ~って
理解出来る位になったのなら、別の抜け道が見つかるってことですものね。
ブッタって優れた精神分析医、心理学者であった人物だと思います
全てを捨て去り、欲を無くす。なんて思いが前面に出ていて結構ストイックなものと理解していた反面、よく知ると悩みを持った人間それぞれをどう癒して新たな道筋を自分の力で見つけるかを柔軟なスタンスで教えてくれる教えだったのですね。
考え方もその導き方も本当に心理療法のそのものであったり・・・
宗教と言うよりは、心理学的な人の心の構造を教えてくれる。そんな教えですね。
NHKのブッタの教え「真理の言葉」を見て復習がてら日記に纏めました。
こうすると自分にも理解出来てくるので(笑)
でも~、スプラッシュにビックサンダー、バズライトイヤー、ハニーハント、ピーターパン、ホーンテッド、フィルハーマジック、イッツアスモールワールド此のくらい乗れたら上出来じゃない
良く頑張りました

自分を褒めたくなります


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