今回はLOMOGRAPHYのBELAIRを使ってスナップショットをしてみたので、作例も含めて簡単に紹介したいと思う。
 
120フィルム専用のカメラで6×6と6×9と6×12の3フォーマットを使うことができるスグレモノなカメラである。
しかしながら、やや難があって、シャッターの位置がレンズの真横に設置されていて、しかも重たい。
 
油断をするとシャッターを切ったと同時にカメラが動いてしまい手振れを多発カメラでもあり、今回も盛大に手振れ写真を量産した。
 
さらに難なのが、ゾーンフォーカスといって、ピントを合わせる方法は目測となる。
 
レンズのF値が8か16の2択しかなく、ピントに多少の誤差があっても、それなりに写すことはできるようになっている。
今回使うフィルムは、前回同様に使用期限が切れ、安売りしていたロモグラフィーのモノクロフィルムを使うことにした。
 
フィルムはISO400だが、レンズのF値が8と16しかないから、使えるのは、夕暮れ時の撮影は無理だろう。
背面の蓋を快に開けてフィルムをセット。
「ワタシ、失敗しないのでと傲慢な態度で言い放てるくらいフィルムの装填に失敗しない仕様になっている。
背面にある赤窓と呼ばれるところに、数字の1が出てくるまで、カリカリとフィルムを巻き巻きする。
ここから1枚目の撮影をすることができる。
 
今回は6×6の大きさで撮影することにしたから、フィルム1本で12枚撮影することができる。
 
35mmフィルムと比べると、恐ろしいくらいのコスパの悪さではあるが、35mmフィルムよりも大きなフィルムで撮影することができ、レンズにもよるが、デジカメ顔負けの撮影もすることができる。
 
さて、これで準備は整った。
今回も、浅草へブローニーでストリートスナップを撮影するというクレイジーな所業に出てみた。
ブローニーフィルムも自家現像。
KODAK D-76で現像、定着、水洗を各10分ずつ行った。
うまく現像できたようだ。
 
駄作ばかりだが、フィルム丸1本分の12枚の写真を公開しようと思う。
これが1枚目
上野と浅草の間くらいにある神社の周りで祭りをやっていて屋台が多く出ていたから、ついシャッターを切ってしまった
場所は変わって浅草
木々の間から五重塔?が綺麗に見えたからシャッターを切った。
素晴らしさが、まるで伝わらないのが私の腕の悪さ
ついついシャッターを切ってしまう仲見世通りのショット。
人が全くいない仲見世通りの景色も悪くはないが、人が多くいる方が活気付いた写真が撮れる。
あまり人が多すぎると景色が全く写らないので注意が必要。
仲見世を通って浅草寺の入り口
ここも人が多く、動きのある写真を撮影しやすい
自分も他の人のカメラに写り込んでしまうので、写されるのが嫌な人は注意が必要である
この写真も多くの人が撮影する場所であり、とりわけ珍しショットでもない。
令和の時代に撮影された写真と思えないところがウリ。
狙って撮影したわけではなく、フィーリングというか、なんかいいなぁと思った瞬間にシャッターを切っているという夢遊病のような撮影スタイル
早田カメラ店のすぐ近くにできた純喫茶的なお店。
浅草は常に来ているが、いつの間にかできていたお店で若い人が多く訪れていたな。
instagramやらTikTokにでも投稿しているのだろう。
これぞ下町!と言わんばかりの雰囲気を醸し出しているお店
マニュアルフォーカスのいいところは、撮影距離を3m固定とかにしておいて、3m先からシャッターを切るとカメラを構えた瞬間に撮影することができる。
瞬速を超える抜刀術でござるよ。
ラストを飾るのが、夕暮れ時の雷門の提灯。
ライトアップされていれば、まだイケていたかもしれないが、完全に露出不足。
フィルムで撮影していると、こういう失敗も悪くはないなと思えてしまうのは末期症状なので気をつけていただきたい。
 
今回は、ロモグラフィーのBELAIRという中盤カメラと、ロモグラフィーのモノクロフィルムの作例を紹介してみたけど、なんだか懐かしいような、幼少期の頃のぼんやりした記憶を写真に表現したような、そんなボンヤリした写真が撮影できるカメラ。
(どこにもピントが合ってないからボンヤリしてるのでは?とか言わないように)
 
また機会があれば、カメラとフィルム作例をしてみようと思う。
 
 
Leica以外のカメラとレンズは購入しないと宣言したばかりなのに、令和の時代にバルナックタイプのフィルムカメラとレンズを購入してしまうという大失態。
 
カメラやレンズなんて1つ増えようが2つ増えようが、防湿庫に入れてしまえばわからんだろ!って、そういう問題ではないが、そういう事にしておこうか。
 
オーバーホールされ、ブラックペイントが施されたオリジナリティ溢れる変態仕様のLEOTAX。
ブラックペイントという言葉にたぶらかされ、人生が狂ってしまった人は少なからず存在するようだ。
 
今回は、何かと話題のウクライナ製のフィルムAstrumというモノクロフィルムを使ってみたから作例と共に紹介したい。
 
使用期限が過ぎてしまい安売りをしていた3本セットのフィルムをゲットした。
フィルムが高騰しているから、期限切れの安くなったフィルムを積極的に狙っていく貧乏スタイル。
 
Astrum Foto-200は初めて使うフィルム。
早速、LEOTAXへフィルムを装填しようと思ったら、なんの因果か、フィルムの下半分がカットされていて、バルナックタイプのカメラにフィルムを装填しやすいように最初から加工されているではないか。
訳あって、バルナックタイプのカメラにフィルムを装填するときは、このフィルムのように出だしの下を切り取る必要があるのだが、最初からカットされている仕様。
 
逆に普通のフィルムカメラにセットする時に、コツがいりそうだなぁ。
 
私が購入した変態仕様のLEOTAXは、オーバーホールされているだけあり、動きがよく、特にシャッターのフィーリングは最高である。
 
Astrumのフィルムは少しクセがあり、フィルムの厚みが激薄い!
固形の鰹節を削ったくらい薄い。
フィルムを巻き上げる時に変に力を入れたり、巻き上げ過ぎたりするとフィルムが切れてしまいかねないくらい。
 
あまりの薄さにフィルムを使い切った後、現像するためにパトローネからフィルムピッカーで先端を出すのだが、うまく取り出す事ができないのである。
 
少しわかりにくいかもしれないが、余っているフィルムの先端を少し水で濡らし、パトローネの口に差し込んで優しく取り出すと、フィルムをうまく取り出すことができる。
 
あまりのフィルムの薄さに、現像リールへの巻き付けも苦戦を要する。
標準的な厚みのあるフィルムであれば、スルスルと巻けるのだが、油断をするとフィルムが折れ曲がってリールの溝からはみ出てしまい、現像ムラの原因になりかねない。
 
KODAK D-76で10分の現像を行った。
 
時間をかけて慎重に巻き上げた甲斐があり、うまく巻き付けることができたみたいだ。
 
 
うまく現像できたようだ。
今回使ったレンズはTOPCOR-S 50mmF2.0の後期型である。
中期型は空気レンズと呼ばれ、Summicronに迫る画を撮影できるという噂だが・・・
 
最後に、LEOTAX+TOPCOR-S50mmF2.0+Astrum200の作例を数枚紹介したいと思う。
 
 
 
 
うーん、私の腕が悪かったのだろうか。
写りはイマイチのようだ。
今後、カラーフィルムで撮影することがあれば、また紹介したいと思う。
LEOTAXやTOPCOR-Sのレンズはオークション等で比較的、安い金額で売られていることが多い。
スマホのカメラに飽きてしまった人に、是非使ってもらいたいと思う。
 

内容が面白く、一度、読み始めたらとまらなくなり、速攻で読み終えた。


主なテーマは、「流される」ことについて。


人生、流されっぱなしの私にとって、読んだ価値は大いにありました。


「流される人」の定義がリスト一覧になっており、自分の胸にグサリときたものだけを

載せてみたいと思う。


・考えたり努力したりする必要のあることで、
 やり遂げたことはいままで一つもない


・収入は全て使い果たし、クレジットで買い物が
 できるならさらに使う

・現実の、あるいは空想上の原因で病気になり、
 少しでも肉体的苦痛を感じると大声でわめき散らす

・無理強いされない限り、どんなことにも熱意をもてず、
 自分から積極的にやろうとしない。


・すぐに機嫌が悪くなり、
 自分の感情をコントロールすることができない

・人を強くひきつけるような人間的魅力に欠ける

・何にでも意見は述べるくせに、正しい知識は一つも
 持ち合わせていない

・とりあえず何でもできるが、何をやらせても大したことはできない

・同じ過ちを何度も繰り返し、失敗から学ぶことがない

・他人からは親切にされることを常に期待していながら
 そのお返しをすることは、ほとんどない

・色々なことに手を出すが、全うしたことは一度もない

・大声で政府を批判するが、
 その改善策を明確に述べることは決してない


・いつも食べ過ぎているくせに、運動はほとんどしない


ざっと、これくらい当てはまってる気がする。


こう見ると、かなりのグズっぷりだな(笑)


それと、ほとんどの人間は、何かにぶつかったとたん
「流される」ようになる。らしい。


で、流される定義は、わかり次は、「流される」習慣から身を守る方法


・どんなときも自分の頭で考えること。
 人間が完全にコントロールできるのは、自分の頭で考えるという
 能力以外にはない。この事実は重要である


・自分が人生に望むものを明確にすること
 そして、それを実現するための計画を立て、必要とあれば
 永遠の敗北以外はどんな犠牲も喜んで払うこと


・一時的な敗北をしたときは、その内容や原因にかかわらず分析をし、
 それに見合うはずの成功の種をそこに見つけること


・人生で獲得したいと思う物質的な富と同じだけの価値を持つ
 サービスを喜んで、他者に与えること。与える方を先に。


・時間ほど大きな財産はなく、自分の願望を具体的なものに
 転換することができるという事を理解する


重要なのは、自分の頭で考える。と、いうことだろうな。

ネット上の情報を大量に読んでいることにより、いかにも自分の意見っぽく思えるが、
実は、ネット上で仕入れたネタだったりするわけだ。

ここの感覚がわからないのだが、自分の頭で考えた感がまったくない。

ホント、普段から何も考えていないだけなのか?能停止しとるのか?


■引き寄せの法則

人間の意識は、繰り返し考えたことを引き寄せるようになっている

どんな人間も、目的や計画を明確にすることされできれば
人生で望むものを何でも手に入れることができる


明確な目標と、それを実現するための明確な計画がセットになれば、
たとえその計画がどれほど実現性の低いものだったとしても
大方の目標は達成される

たとえ敗北したとしても、一時的なものと考えず、さらなる努力を
促すものとして受け取る

それを明確な意思のもとに続けていけば、勝利以外の結果はあり得ない
目標そのものを変えることなく、計画だけを差し替えていく。

そして、必ず最後は成功にいたる計画を見つける。

とのこと。諦めるな。という事でしょうか。



この本を読んでの反省点として、最近は、無計画で期日を設けず、
楽しむこと > 利益
で、楽しいけど儲からないことばかりやってる。

楽しいけど、儲からないを、楽しくて儲かるに変えていけばいいだけ。


かなり昔の本だが、現代に書かれていてもおかしくない内容になっていて
とても素晴らしい。

最近「流されてるなぁ」と思ったら読むといいかもしれない。