愛人ともいう、
が本人は「遊び相手」と呼ぶ。
家庭は唯一守るもの、としているからだ。
格好いいようでいて子供なだけだ。
わがままに甘えられる相手がそこにいる。
可愛くて自分の事が大好きで、どんな時も受け入れてくれる。
それは手放す訳ない。
今日、時間あるんだけど、
めったに会えないんだから、
と、言葉巧み。
相手はそれは嬉しいことだろう、この自分を優先して会いに来てくれるのだから。
当の本人たちはさぞ楽しかろう。
だが伴侶の事を考えたことあるだろうか?
考えてるから最大限の警戒をして遊んでいる。
馬鹿馬鹿しい。
なら別れてシングルになれよ。
だったらどんな相手のどんな遊びしようがなんの意見もない。
問題はそれにつきあう相手の事。
どんな思いだろう。
やはり伴侶より自分を選ぶ、という優越感しかない、
と思わざるをえない。
SNSを見ているとふと気がついてしまうことがある。
ふたり揃ってまったくSNSからその存在が消えること。
それはそうだ。
アクセスして普段会えない相手の動向を知る必要がないからだ。
なぜなら今まさに一緒にいるからだ。
なんだか悲しいな。
その夜を過ごす向こうに、
一生を誓った相手がいる。
危険な一夜が終わると日常に戻る。
お互いの存在をSNSで知る、探す、探る生活。
ひと昔前ならありえなかった。
そんな時間があるなら仕事をしろよ。
なければ探せよ。
家の事をしろよ。
時間をみつけて遊びあいてと過ごすなんて
不毛だな。
