私は、小さいときから漠然と「私は大きくなったら医療関係の仕事か教育関係の仕事につくだろうなあ」と思っていました。なぜかというと、勉強がぜんぜんできなかったから(笑)。あと、体も弱くて、病院の先生にしょっちゅうお世話になっていたから。実際学校の先生になるつもりはなかったのですが、最終的に大学で教えるようになりました。

勉強ができないっていうけど、それって才能じゃないかなって今は思います。中学のときとかどんなに勉強しても数学ができなかったし、小学校のときはもっとひどくて、宿題なんてぜんぜんしていませんでした。だから、勉強ができない人の気持ちもわかるし、やる気の出し方とかよく考えます。みんながみんなやる気があるわけじゃないから、授業も工夫しないとだめなんだって身をもって知っているからです。

小学校の先生ってすごく大変だと思います。私は今は教育のこととか勉強したので、いろいろな理論を学びましたが、私の通っていた小学校の先生ってそれと正反対のことをしていたのです。たとえば、私が宿題をしなかったら、「連帯責任にしよう」っていって、他の児童に責任を押し付けたり、それが原因で私はいじめられたり。。。それで、その先生はなぜいじめがなくならないのか不思議そうでした。

その先生というのは、優秀な方で、小学校から大学までずっと国立の学校に通っていたそうです。それで、落ちこぼれの気持ちもぜんぜんわからなくて、どうして児童のやる気がでないかとかもわからなかったようです。だから、そういう風に勉強ができない時期を通して先生になった人というのは、生徒の気持ちもわかると思います。

私は、そういう未熟な先生でも小学校で教えられてすごいと思うし、先生が未熟だったから、いろいろ大変だっただろうなと思います。そして、そういう風にしか教えられなかったけど、それでも一生懸命に教えてくれて感謝しています。

私は算数とか数学って一生懸命勉強してもできなかったら、あきらめましたが、あんなに一生懸命勉強する必要があったのかすごい疑問です。私の場合は姉の成績がよく、いつも親の期待を一人で背負ってくれたので、私は勉強ができなくてもあまり気にしなかったし、学校で落ちこぼれても、落ち込みませんでした(笑)。そういう面で私はとてもめぐまれていたと思います。私の両親も私の勉強ができないのを見かねて私立の学校にいれてくれたりして、すごく助けてくれました。

今は、私の小学校の思い出は笑い話です。そして、私はあの時勉強ができなくて運がよかったなーって思います。あの時勉強ができなかったからこそ、今の授業にいかせるし、だから大学生からも感謝されたりするのかなーって思います。

結局人って自分の得意なことで生きているんだと思います。私はどんなに勉強しても数学ができなかったのは、数学が私の人生に必要のないものだったからなのかなと思います。実際数学ってぜんぜん勉強しなくても大学院にもいけたし、博士号も取れました。人生ってマイナスになるようなことでも、実は自分の人生にすごく役に立っているんだなーって思います。




心理学で幸せについて面白い研究があります。普通宝くじにあたったら幸せだと思うし、お金があったら幸せとか、ダイエットしている人だったら、「体重さえ減ればもっと幸せになれるのに」など思ったりします。でも、本当にそうなんでしょうか?私は小さいときからいろんな病気をして、入院したりしていました。それで、健康にさえなれればもう幸せなのにと思っていました。普通に外に出られるようになったときは、もう奇跡だと思いました。でも、病気がなおって、次第に時間がたってくるとそれがだんだんと当たり前になってきました。心理学でも、人はどんな状況におかれても時間がたてばその環境にいずれ慣れるものであると証明されています。どんなに宝くじでお金がたくさんあたっても、その幸せは長くは続かないということです。人間は環境に慣れ、飽きやすくまた環境に適応することができるからです。だから、大学に落ちたり、失業しても、いずれは立ち直れるのです。 また、どんなにいいことが起こっても、その出来事が人生の全部の問題を解決できるわけではないのです。宝くじでお金をあてても、仕事や人間関係、健康などすべての問題が解決できるわけではないのです。環境が幸せを決めないのだとすれば、じゃあどうすれば人はもっと幸せになれるのでしょうか?それは、今ある小さな幸せに気がつくということです。心理学では、物事を肯定的に捉える傾向とかは性格によると研究結果がでていますが、楽天的な人はたとえいやなことが起こっても立ち直るのも早く、悲観的な人よりも幸せな人生を送る傾向があるといわれています。そういう人はストレスにも強く、健康にも恵まれる傾向があります。だから、例えば、ダイエットすれば幸せになれるってがんばって、体重を落としても、結局体重は自分を幸せにしてくれないんだなーって気がつくことが多いと思います。幸せって自分でなるものだと思います。

私が高校生の時に、母がよく「今の時代、留学経験者や帰国子女が増えて、英語を話せるのが普通になってきたから、英語だけできても有利ではない」という話をしてくれました。実際私のいとこはアメリカで産まれ、英語を完璧に話します。英語圏の国に行けば、子供でも英語を話します。母は英語しか興味のない私を心配して、いろんなことに興味を持つようにしてくれました。私の父はコンピューター関係で働いていましたが、母にいわせれば、「英語プラス専門知識」があるから有利なのだそうです。だから、私も何か専門に勉強しようと思って、心理学を勉強しました。私にとっては「英語プラス心理学」のつもりだったのですが、そのまま海外にいるので、「英語プラス」の部分は意味がなくなってしまいました。


留学する上で注意してほしいのが、留学すれば人生が変わるとか英語が話せればかっこいいという観念です。私の家族は私以外英語を話さないですが、みんな幸せに生活しています。私は英語オタクだったので、英語の勉強が好きで、ほとんど趣味のように勉強していたのですが、英語に向かない人もいると思います。そしてそれはそれでいいと思います。なーんとなく「英語がはなせなきゃいけない」みたいな風潮が日本にあるような気がします。それって、英会話学校とかの宣伝に踊らされてるのかなあとも思われます。


そして、英語が話せたくらいで何も人生は変わりません。海外経験をすれば視野が広がるとか言う人がいますが、視野の狭い人は何をしてもどこへいっても狭いままだと思います。日本でも視野を広げることは可能だし、私は英語の話せる人よりも、人の気持ちがわかって日本語をきちんと話せるほうが大切だと思います。


そして、留学するのであれば、留学したあとどうするのかということを考えないと後で、「こんなはずではなかった」という状況になりかねません。就職するにしても、日本にいるほうが絶対有利です。海外に行く前に日本で会社とコネを作って、留学している間も連絡をとるとか、日本の大学院に行きたいのであれば、留学する前に、日本の教授に会って話を聞くとか、海外の大学院を狙うなら、卒業後どうするかなど、目的によって、留学前、留学中にすることが違ってきます。留学って学位をとったらなんとかなる世界ではありません。海外の学位をもっているけど就職できない人はたくさんいます。


私は自分の学生が「大学院に行きたいんですけど」という相談を持ちかけたときに、修士号までなら(MBAを含む)「大学院、いったらいいよ」と勧めますが、ほとんどの学生には博士号はお勧めしません。私が大学生に戻って、人生を変えることができたとしても、私はやはり大学院にいって博士号を取ると思います。自分の選択は間違っていないと思うからです。でも、博士課程はほとんど研究目的なので、オタクが多いし、反対にそれほど興味のある分野がないのであれば、就職の面でもお金と時間の面でも、意味があるのかなーって思います。分野によりますが、一般的に修士号なら研究者以外の就職でも選択の幅が広いです。


私は自分の学生からいろいろ学ぶことが多いのですが、最近「能力っていくら信じても信じすぎるってことはない」って思い知らされました。私の授業を受けた学生の一人に推薦書を頼まれて書いたのですが、その学生は私のクラスをいくつかとっていて、わりと長い付き合いなのです。そして、彼女の成績とか過去の実績をみると過去1年ですごく飛躍したんですね。どうしてそんなに急に成績あがったのか尋ねたら、将来カウンセラーになりたいっていう目標ができたからっていっていました。結局その学生はアメリカでも名門のすごく有名な大学に受かりました。彼女の成績が上がったのは知っていたし、やる気もすごくあったので、どこかの大学院に行くとは思っていませんでしたが、まさかあの有名な大学に受かるとは思っていなかったのですごくうれしかったです。私がカウンセラーを探しているとしたら、彼女のように壁を打ち破った人のところに行くでしょう。自分の限界を克服した人には特有の強さとか魅力があると思います。