義援金 | 誰もが心に日の丸を

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英霊を顕彰しよう。私達も、祖国を守ろう。

日本は一家。日本人は皆、兄弟。
一刻も早く、拉致被害者全員を取り戻そう。
さあ、新憲法を制定しよう。
前文、9条を潰そう。
日本を 名目上から、実際の独立国へ。
『戦後』に負け続ける祖国を 私達が止めよう。



 私の給与明細には、“ May I ”という欄があって、毎月、45円が、引かれる。盲導犬の育成のために使われる、私からの寄付だ。
 今回は、ここに至るまでの話だ。


 まずは、阪神淡路大震災。この時、私は、1円も義援金を出していない。当時、二十四歳。フリーター。金は全て、私のために使い、まずは成功することが、日本、そして世界のためだと、本気で思っていた。芸術の力を無邪気に信じていた。全ての金は、政府が出すべし。そうあるべきで、そうでない世なら、私が、変えてやる。そのうちに、芸術で。といった按排だった。


 時は飛んで、東日本大震災。私、四十歳。ハケン社員。義援金を出したいと思った。人生は棒に振っていた。親のすねも、随分かじった。守るべき家族も持ってない。私の貯金は、私が稼いだ金ばかりではない。自身の人生の負い目が、義援金を出すという思考に向かわせた。
 ハケンとして、1万円も出せば、許されるかなと考えた。街頭で募金するには、高額だと思った。ならば——というところで、行動せず、時は過ぎた。
 私の所属するハケン会社が、希望者の給与からの天引きで、義援金を集めると言う。その給与は五月。遅いとも思ったが、そうでもないかと——行動しない私は、給与からの天引きを希望することにした。
 金額を考えた。やはり1万円も出せば良い、ハケンだからな……いや、待て。被災者の方々のことを考えれば、いくらで “ OK ”とは言えない。ならば、自身の意思を挟まず、金額を決めたい——と、しゃれを考え始めた。
 そして浮かんだのが、「 死線(四千)を越えて(五万) 」で、五万四千円だった。
 とんでもない金額だ。考え直そうとしたが、被災者の方々の方が辛いのに、私が、辛い金額の義援金を出さないでどうすると、そのままにした。
 担当者に、金額とメッセージを書いた紙を渡した。
 メッセージには確か、

  神の存在を認める者として
  死線(四千)を越えて(五万)生きる方々へ

 と、書いたと思う。
 私は、乱暴に、震災と神を結び付けたりしない。
 ただ、「 神も仏もなかりけり 」といった考えが、蔓延してしまったらと思うと、怖かった。
 また、しゃれも書いておかないと、金額だけでは、信じてもらえないと思った。情けないが。
 その日の夕方、とんでもない感覚に襲われた。透明人間の様な、精神的な自身から、どす黒い血が、ドクドクと流れ出ていく感覚だ。後悔したくても、善意に過ぎて、不可能だった。腹に力が入る。義援金は、自身の精神への投資だと思った。こんな金の使い道を 私は、知らなかった。
 私は、変わった。
 力の無い私でも、義援金で社会と係われ、何より、自身の精神への投資になる。
 後日、こっそりと義援金を出すことに、限界を感じた私は、チャリティーTシャツを買った。



 また後日、ハケン会社の May I 運動に参加しようと思った。金額は、50円以内とハケン会社が決めている。私はまた、しゃれを考えた。
 「 始終御縁(四十五円)がありますように 」
 メッセージは、

簡単なはずの行為に
多大の難癖を夢想し
 あえぐ私をなんとかしたい。
一歩二歩三歩と前へ

 こう、添えた。