矢野惣一の『幸せな家庭を築く心理学』~すべての幸せ、すべての苦しみは家庭から-恨みと感謝

配偶者との関係が上手くいかない人は、

幼少期の親との関係に問題があることが多いです。


親への未完了の想いを配偶者に満たしてもらおうとするのです。

親への無意識の恨みや憎しみや不満を配偶者に転移して、

配偶者に対して、それらをぶつけます。


しかし、いくら配偶者に何かをしてもらっても、怒りや不満をぶつけても、

本当に気持ちを分かってもらいたいのは、親に対してなので、

その想いは満たされることがありません。


ですから、ただ単にコミュニケーションのやり方を変えただけでは、

夫婦の問題は解決しないことが多いです。



ですが、親に虐待を受けていたりしていても、

配偶者に恵まれている人もいます。


その違いは何か?


きちんと親を憎むことができているかどうかによるように思います。


虐待やネグレクトを受けているにもかかわらず

配偶者に恵まれている人は、

私が知る限り全員、親をきちんと恨み憎むことができています。


「憎んでいるのは親であり、夫(妻)ではない」

ということが分かっていますから、

配偶者に親の身代わりをさせずにすんでいるのです。


一方、親との関係、父母の夫婦関係を訊いても、

「問題ないです。親には感謝しています」

と答える人は、なかなか夫婦関係が改善しません。


問題は配偶者にある、と思って相手を責めるか、

問題は自分にある、として自分を責めるか、

になってしまうので、問題が解決しないのです。



親を憎むというのは、

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という諺のように、

親のすべてを憎む、否定することではないです。


親のこういう態度は憎いけど、

こういう態度には感謝している。

と、憎むべきところと感謝すべきところをきちんと分けることができる


白か黒か、全肯定か全否定か、ではなくて、

ある部分は白だけど、黒の部分もあると、

親を一人の不完全な人間として受け入れるということです。



親から与えられた快と不快と、

どちらが多いかで、

親を恨むか感謝するかが決まります。


全部が快、全部が不快なんてことはないんです。

だから、親を憎む恨む気持ちはあってもちっとも不思議じゃないんです。


虐待や無視、人格否定はもちろん、

無理解、幸せを喜んでもらえなかったら、

たとえご飯を食べさせてくれても、大学まで出させてもらえたとしても

感謝することはできないものです。


このことを考慮しないで、どのような人に対しても

「親に感謝しなさい!」

「そんな親とは縁を切りなさい!」

なんて言ってしまったら、相手をもっと苦しめることになります。


誰だって、本当は、親のことを好きになりたいんですよ。

親に愛してもらいたいんです。

親に自分の幸せを喜んでもらいたいんです。


それが叶わなかったから、

大人になってからも苦しんでいるんです。


拗ねているんじゃないんです。

いや、拗ねているのは、


「お母さん(お父さん)が、わたしにしていることは、

わたしにとって、気持ちいいことより、

嫌なことのほうが多いんだよ。

そのことに気づいて!」


という子どもの心の叫びなんです。


その叫びに自ら

「ああ、わたしは、拗ねていただけなんだ。

わたしが悪かったんだ」

なんて、自分を責めることで蓋をしてしまわないでください。


逆に「こんな親とは縁を切ってやる!」

と、親からもらった快の部分まで拒絶しないでください。

親のどういう部分は憎むべきなのか?

それが分かれば、夫婦関係はよりよくなります。

子育てもより上手くいくようになります。


親を憎むことで、

あなたが本当にしてほしいこと、

これだけはしてほしくないこと、

が分かるからです。


それらが分かれば、

配偶者にそのこと伝えて、あなたの満たされなかった本当の想い満たしてもらうことができます。

自分の子どもには、それをしてあげよう、これだけはすまい、ということが明確になります。


「親を憎んではいけない」といわれますが、

親を憎むことで幸せの扉が開くことだってあるのです。


そうやって、あなたが幸せになれば、

自然と親のことも赦せるようになります。


それが、親を一人の不完全な人間、つまりありのままの人間として愛する

ことになると思うのです。


そして、それが、自分自身のこと、配偶者のこと、子どものことも

ありのままに愛せることにつながります。