その時わたしは尼崎市に住んでいて、
名神高速のインター下りてすぐのところにある塗料会社に勤めていて
連休明けの早朝いきなり大きく揺さぶられて目が覚めた。
震災で大きな被害は受けなかったし、怪我もしなかった。
ただ部屋はめちゃくちゃで、備え付けてあった電子レンジが壊れた。電話は夜になって、テレビが「緑の公衆電話なら通じる」と言うのを信じて、近くの電話ボックスに駆け込んでやっと実家と連絡がついた。
1週間くらい余震が怖くて平衡感覚がおかしくなった。風呂には3日間入れなかった。自転車で1時間かかって銭湯に行った。
そのときわかったのは、生きてたら必ず明日は来るということだけだった。
その「明日」を迎えることができなかったすべての魂に平安あれ。
思い出して切なくて泣いてしまいそうな人たちの上に主の平和。