神は言われる。「わたしを求めよ、そして生きよ。正義を洪水のように、恵みの業(わざ)を大河のように尽きることなく流れさせよ。」 (アモス 5:4,24)
毎年この日は、特別な思いをもって過ごしている。
平和祈念式典で被爆者代表として献花したこともある祖母が生前、長崎新聞に寄せた手記から祖母や母がどのような状況で被爆したのかを垣間見ることができる。
しかし、実際にはわたしたちの想像を絶するような悲劇がそこでは起こったのだ。
幼かった母の遊び友だちは母を失い、祖母は胎内被爆の不安を抱えながら2ヶ月後に叔母を産んだ。
母は奇跡的に無傷で、大きな後障害の話も聞かない。だけど、あの時一瞬にして奪われたおびただしい命、その後も火傷や放射線障害のために失われていった命のことを忘れたくはないし、誰しも決して忘れないでほしい。