昨日からメンズファッション 通販24時間TVが放送されてますね。
「私の知らないこんな難病があったのか」と知ることができる機会もあるので番組の全部が全部を否定するわけじゃないんですが、視聴者を泣かそう、感動させよう、というコンセプトが鼻につきすぎるように感じます。
特にあの24時間マラソンは疑問です。最初はそうでもなかったんでしょうけど、「困難なことにチャレンジする勇気と感動」を手軽に押しつけることのできる定番企画として定着しちゃいました。
萩本欽一さんが走ったときもそうでしたが、何故徳光さんのような心筋梗塞起こしたご老体を走らせるのでしょう?危険きわまりないです。「より大きな感動」を視聴者に与えるために、高齢で心筋梗塞の経験在りというハンディがある徳光さんを走らせよう、という運びになったのかもしれません。
ちょっとエスカレートしすぎではないでしょうか。何かあったらどうするつもりなんでしょう?
あの番組は「視聴者を感動させてナンボ」という雰囲気があります。でも、別に泣かせなくたって、感動を無理強いしなくたって、障害者福祉等を訴えることはできるはずです。それを毎年毎年お涙ちょうだいに仕上げなきゃって強迫観念が、ある意味とても日本的だと思います。というか涙と感動とセットでなければ障害者福祉は世間に伝わらないものなんでしょうか?それって障害者問題を歪めてしまうような気がします。障害者福祉の問題を涙と感動の対象に持ち上げすぎる番組の作り方は違和感を覚えます。(今年は震災にウエイトを置いたとは思いますけど)
障害者だって自分の存在をやたら感動されたいわけじゃないと思います。もし自分の存在に世間が感動の涙を一斉に流したら、乙武さんならどう思うでしょう?きっと、自分は自分らしく生きてきただけ、そんなに涙流されるいわれはないんだけど・・・って言いそうな気がします(違ってたらゴメンナサイ)
やたら感動の対象に祭り上げる演出は、かえって障害者と健常者のジェンダーフリーから遠ざかるのではないでしょうか?乙武さんの「五体不満足」の中で、乙武さんの友人はしばしば乙武さんが障害者であることを忘れちゃってた、と言うくだりがあります。私も時々テレビなどで拝見するとき、彼が障害者であることをすっかり忘れています。おそらく、彼が彼らしく自己実現できてる生き方をしてるからでしょう。言い換えれば、全ての障害者が自分らしく自己実現できる生き方ができれば、そしてそのサポートを社会が十分にできていれば、障害のあるなしというフィルターを通さず、一個の対等な人間として関係を築いてゆけるわけで、そういうのがジェンダーフリーなんじゃないかって気がします。障害者を感動の対象にするのではなくて、ね。
そんなことを24時間TVに思いました。
そうそう、障害者が自分らしく生きていけれる機会を奪う障害者自立支援法の酷さをこの番組で訴えてもいいのにな・・。
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