この度TwitterにおけるFFの影響もあり、ブログを開設することになった。ここで何を発信するのか、その方向性については全く決まっていないし、今後それが定まることもないだろう。終電を逃した者のように行くあてもなく千鳥足で進むか、駅前のロータリーでうずくまって寒さに震えようと思う。

  さて、メンヘラ宜しくエモーショナルなアフタヌーンを過ごし、Twitterの制限字数を上回るトピックにエンカウンター。本題に入る前に、うそつきの人間性(うそつきは人間ではないのだが)をよく表した一節を三島由紀夫の『不道徳教育講座』より引用しておこう。

しじゅうメソメソいる男がある。抒情詩を読んだり、自分でも下手な抒情詩を作ったり、しかもしょっちゅう失恋して、またその愚痴をほうぼうへふりまき、何となく伏し目がちで、何かといえばキザなセリフを吐き、冗談を言ってもどこか陰気で、「僕はどうも気が弱くて」とすぐ同情を惹きたがり、自分をダメな人間だと思っているくせに妙な女々しいプライドを持ち、悲しい映画を見ればすぐ泣き、昔の悲しい思い出話を何度もくりかえし、ヤキモチやきのくせに善意の権化みたいに振舞い、いじらしいほど世話好きで


まぁ僕は悲しい映画を見ても泣かないのだが…というような枝葉末節を除けば、うそつきは大体このような人間(うそつきは人間ではないのだが)である。本ブログを読み進められる上での一助とされたい。

  弊学は現在学祭期間中である。学祭期間は知り合いと旅行に出かけるか家で寝ているかが常だったうそつきも、今年度はサークルの仕事や思わぬ来客、嬉しい来客を数名迎えたこともあって学祭に積極的に(以前に比べれば、程度のものだが)参加することとなった。

  そこで、人間関係や恋愛、メンヘラについて研究している某サークルの会誌を購読していたうそつきは、あるフレーズに目を止める。それは、ある男がひとりの女との恋愛を赤裸々に語った個人寄稿における

「やりとりを通じて僕は彼女からの好意を感じ、」

という言葉だった。女性からの好意(友好的な想いのみならず恋愛感情までも)は、

「感じ取ることができるもの」

だったのである。はっきり言って感情の機微に疎いうそつきは、このことを完全に失念していたのだ。伝達する(バレる)好意とは必ずこちらから相手へのものであって、逆に向こうからこちらに伝わるのは、嫌悪感や興味がないという意思ぐらいのものだと、うそつきは勝手に思い込んでいた(おそらく自信のNASAが原因だと思わ練炭)。

自分本位の恋愛考察しちゃってるよ…♡

ともかく、今後うそつきが「浅学非才の恋愛荒唐無稽戦」をする上で、大胆な一歩を踏み出す前には意中の女性から恋愛感情を少しでも発せられているかを深く検討していきたい所存だ。これは自慢とかではなく話の根拠(そんなものはない)を増すための発言なのだが、思い返してみれば、僭越ながらうそつきも人生(うそつきは人間ではないのだが)で二度、女性からの好意をこじつけなしに感じたことがあった。そして反対に、好意が明確に伝わってきたわけではないケースではことごとく失敗に終わっているのである。

  もう少し付け加えるべきこともあるだろうし、最後に話をまとめたりするべきなのだろうが、ただいま絶賛サークルの打ち上げに遅れそうなので割愛する。ここまで読んでくださった方々にキスを贈りつつ、第一楽章を終わりとしよう。

てか、こんなこと考えてたら恋に臆病になるだけなんじゃねぇか^〜???