DOMEANIです。


土曜日にジャングルに行ってきました。ボルネオ島まで行ったって?

なんてことないクアラルンプール市内の森林研究所FRIMに行ってきました。


ガイドブックには、チャイナタウンからバスで一本でいける簡単な観光地と書いてありました。

しかし、さすがはマレーシア、やっぱりジャングルへの道はなかなか険しい、、、

いや、道じゃないですよ。公共交通に踊らされで、


まずは、朝九時にチャイナタウンの駅に集合で、バスを探したのですが、、

バスは100以上路線がある、バス会社もいっぱいありで、

聞く人聞く人違う所を教えられ、、

一時間かかりやっとバスにたどり着いたら、

セランゴールという名の古いバス、、、

KLの中心部ではほぼ見かけないのに、、、


で、てっきりFRIMまで直接行ってくれると思いきや、

ケポンとかいう洗剤みたいな名前の駅で降ろされ、、


こうなったらタクシーと思って、

駅の近くにいるタクシーに行くと12RM(360円程度)だといわれ納得できず。

物価が約三分一のマレーシアでは、不当な値段!!

それで約三十分交渉したところ25RM (750円程度)になぜか値段が上がる、、、

商売する気ないんかーい。


それで結局流しのタクシーを使ったところ12RMでした。

しかし、帰りのメータータクシーだと5RMだったので、

悔しい思いをしました。


FRIMは、入場料が1RM(マレー人)。

外国人は5RMらしいのですが、

こっちから外国人といっても「いいっ!!」って返事でした。

本当商売する気ないんかーい。


ここには、カフェなんかもあります。

が、ハリラヤの時期のためやってない。

メインのキャノピーウォーク(ジャングルの中の橋)も、工事中。

本当に商売する気がないんですよね。


これじゃあ人も来ないって。

でも小さい川で遊んだり、大きい木を見たりと個人的にはお気に入りの場所です。


クアラルンプールの中のジャングル、ステキです!!



DOMEANIです。


今回の目的の一つでもあるマレー鉄道に乗り、マレーシアを一周してきました。


夜の八時半にクアラルンプールを出発して、次の日の九時半にコタバル(マレーシアの東海岸の最北らへん)到着。13時間もかかって大変でした。その後、ペナンまで夜行バスで行き、ペナンからは再度マレー鉄道で昼の便で帰ってきました。


一番楽しみにしてた寝台列車でしたが、

景色が全く見えないもんですね。

久しぶりに孤独を味わいましたね、、


電車に乗るなら昼の電車が一番。

特にマレー鉄道は、ペナンからクアラルンプール間の鈴鉱山の景色が最高でした!!













初投稿のTDです。


気分を害するような内容を含んでいますので、部屋を明るくして離れて見てください。

また、多くは主観に基づく妄想です。学問的なものをベースにしているわけではないので、所々意味不明なものもあります。その点お忘れなく。



今回は映画「ハンサム☆スーツ」をご紹介します。

Yahoo!映画のレビュー(http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id330560/ )では、賛否両論ありますね。


重箱の隅をつつくようなレビューもありますが、面白く、そして鋭く現代を描いているのではないでしょうか。


製作者の経歴から、TV対映画(保守的)の戦いのように書かれている方もいらっしゃいますが、昨今の漫画原作のTVドラマや映画があふれていることについて、いかがお考えなのか知りたいところではあります。


私は、内容が充実していれば出所はなんでもかまわないと思います(さすがにA○はまずいですが)。事実映像作品としての市民権を得たゲームに関しても、素晴らしいストーリーや作品は多々あります。



●ストーリー


前置きが長くなりました。「イケメン」「美人」と、もてはやされている人たち、その一方で(言い方は悪いですが)「不細工」と言われ続けている主人公。


この構図を中心として「ハンサムスーツ」なる、着るとハンサムになることができるアイテムを用いて、主人公のコンプレックスである不細工を包み隠して、「大きな幸せ」ここでは大金を稼いで、世間からちやほやされることか)をつかみかける。


その一方で、主人公の真の姿のときにしか経験することのできない「小さな幸せ」大きな幸せの対比)をある意味第三者の視点(ハンサムスーツを着ている)から再確認していく。


これがストーリーの大まかな流れです。

映画の詳細は映画情報やその他のレビューに任せるとして、以下では映画を見た私なりの視点から映画を評価し、そこから社会を覗いてみたいと思います。


●人生の損得と外見


一見、あり得ないしくだらないの連続で、娯楽の極みのような映画ととらえてしまうかと思いますが、背景には現代社会の同一階級内の対立?を鋭く描いています。


自分と他者の識別がはっきりする頃から、例えば小・中・高・大・社会人どれをとっても大抵の人は一般市民として暮らしています。しかし、一見同じ階級の中にいるにも関わらず、格差や差別(区別)なるものは存在します。


現代社会でそれが鋭く対立するもののひとつには、「外見」見た目の情報)があるのではないでしょうか。もちろんメディアがあおって、それに乗っかる人たちが多いことにも原因がありますが。

私はイケメンと呼ばれる人種があまり好きではありません(逆差別ではないです。逆という表現も変ですが。通念とは反対という意味で。そもそもイケメンという言葉自体が一種の区別ですが)。

外見は先天的なものであるにもかかわらず、それによってそうでない人よりも人生得をしていると考えるからです。


あくまでも個人の主観であることを断わっておきますが、外見を尺度として周囲を見たとき、イケメンなる人種は何となく都合がよく、自信にあふれ(ナルシズム、やたらと露出したがる)、調子に乗っても周囲が温かく見守っている。それに、イケメンを友達にしておけば、シナジー効果があるという打算をもって、友達になろうとするハイエナもいます。


その「真」と「偽」の循環がイケメンの勢力を増幅し、支えになっています。跳躍。


私は外見がそのまま人の評価につながるべきではないと思います。

しかし、どんなに性格がよく、人として尊敬できるとしても、その人を最初に判断するのは間違いなく外見(見た目)です。それは、その人を判断する最初の情報としては外見以外にはほとんど見当たらないからです。

これは、不条理ですが仕方のないことかもしれません。

小沢一郎よりも小泉純一郎なのです。その点で、大っきらいではありますが小沢にも多少同情の余地があります。


「不細工」と一言で片づけられてしまえば、それ以上その人との接点やコミュニケーションの深化は難しいでしょう。不細工はマイナスの感情を始点にしているからです。

一方、「イケメン」というイメージは好感からでてくるもので、その人をもっと深く知りたいと思うでしょう。


この差が実に大きいと感じます。これが人生の損得を考える上で、大きく働く原理だと日々考えている次第です。


●人との関係深化はストーリーによって


功利主義的に見るならば、温水よりも小栗がモデルをすることに異論はないでしょう。


かといって温水が小栗に劣るわけではありません。それを小栗に有利な土俵で比べるから、温水が劣って見えるのです。それがテレビなどの演出の一つであるにもかかわらず、現実の社会にもまま見られる現象です。

(鶏と卵の話のように、どっちが先なのかは分かりませんが、おそらく現実社会の現象を演出として誇張し始めてのだと勝手に推測します)


そういう意味では、この映画もほめられてものではないでしょう。しかし、この現代社会において外見で不利な扱いを受けることの不条理について「気づき」を与えてくれます。


人は中身で判断されるべき。ならば、その人を深く知る必要があります。深く知るには、行動を共にする必要があります。行動を共にすれば、その人との間で共有できるものが生まれます。


それがストーリーです。そのためには、接点を持たなくてはなりません。


人を外見で判断するのは止めましょう。きれいごとをいっても意味はないかもしれません。では、温水と小栗を同じ土俵で比べるのは止めましょう。

これなら可能でしょうか?



人は外見で判断するのではない。これを知ることが小さな幸せの一つ一つにつながってくるのでしょうか。しんみりと考えてしまいます。


***映画の評価***

総合;★★★☆☆


ストーリーの整合性;★★★★☆

エンターテインメント性;★★★☆☆

メッセージ性;★★★☆☆

もう一度見たい?;10年後にみたい

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