2024.8.11.
日曜礼拝
讃美 Reckless Love You Deserve It
テーマ 「パン種」
パン種とからし種
いつも負けていた選択に「勝つ」 という選択が与えられることを知る
葛藤
詩編18:30-50
神、その道は完全、主のみ言葉は純粋。主はすべて彼に身を避けるものの盾。
まことに、主のほかに、だれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。
この神こそ、わたしに力を帯びさせ、わたしの道を完全にされる。
彼はわたしの足をめじかのようにし、わたしを高い所に立たせて下さる。
戦いの為に、わたしの手を鍛え、わたしの腕を青銅の弓をもひけるようにされる。
こうしてあなたは、み救いの盾をわたしに下さいました。、あなたの右の手はわたしをささえ、あなたの謙遜はわたしを大きくされます。
あなたは私を大股で歩かせます。わたしのくるぶしは、よろけませんでした。
わたしは敵を追って、これに追いつき、これを絶ち滅ぼすまでは引き返しませんでした。
わたしが彼らを打ち砕いたため、彼らは立つことができず、わたしの足もとに倒れました。
あなたは戦いのために、わたしに力を帯びさせ、わたしに立ち向かう者を、わたしのもとにひれ伏させました。
又、敵がわたしに背を見せるようにされたので、わたしは私を憎む者を滅ぼしました。
彼らが叫んでも、救う者はなかった。主に叫んでも、答えはなかった。
わたしは彼らを風の前のちりのように打ち砕き、道の泥のようにのぞきさった。
あなたは民の争いからわたしを助け出し、わたしを国々のかしら任ぜられました。わたしの
知らなかった民がわたしに仕えます。
彼らは耳で聞くとすぐ、わたしの言う事を聞き入れます。外国人らは、わたしにおもねりま
す。
外国人らはしなえて、彼らの砦から震えて出てきます。
主は生きておられる。ほむべきかなわが岩。あがむべきかな。わが救いの神。
この神は、わたしの為に、復讐する方。神は諸国の民を、わたしのもとに従わせて下さる。
神は、わたしの敵からわたしを助けだされる方。まことに、あなたはわたしに立ち向かう者
から、わたしを引き上げあげ、暴虐のものからわたしを救い出されます。
それゆ。主よ、わたしは国々のなかであなたをほめたたえ、あなたのみ名をほめ歌います。
主は、王に救いを増し加え、、油そそがれた者、ダビデとその末に、とこしえに恵みを施さ
れます。
多くの闘いにおいて、心が重要です。
誘惑から恐れ、悩みまで、多くの場合必要なことは行動で、そこに至る前の葛藤が重要で
す。
ふとした思いが増大し、膨らみ、その人を支配して言葉や行動にまで至ります。
パン種
多くの場合、是でも否でも、どちらが優勢になりやすい癖のようなものが人にはあり、
反対の思いや考えを駆逐しながらいつもの行動や決断に至ります。
そこをクリアしない限り、いつもと同じ結果、いつもと同じ選択をしています。
主はそこを打破します。
私達が救われるまで、同じ選択、同じ結果をしていた行動に至る前のところ
いままで闘いにもなっていなかった部分に葛藤を生じさせます。
負けていた選択からの勝利
そこではじめていつも負けていた選択に「勝つ」という選択が与えられていることを知ります。
多くの場合、私達は勝つことすら隠されて負けると思い込まされ、何度も同じ選択を与えられていました。
◎それは罪の奴隷であり、敗者です。
人から見れば小さなことかもしれませんが、本人にとってはそこがネックのところ。
●お酒をやめる。
●仲良くなりたい人に話しかける
●断りにくい誘いを断る勇気を持つ
●手を差し伸べてあげたいけど周囲の目があるから助けられずにいた人を助ける
●しばらく行ってなかった教会にもう一度行く勇気を持つ
◎どれでも周りから見れば小さいことに見えるかもしれません。
でも本人の信仰や信仰生活においてそこが大きなネックとなり、前に進めないでいる。
そして消極的な選択を常にとるようにされていて、「支配されている」。
それは恐れであったり、
誘惑であったりで、
そこには勝てないという思い込みが刷り込まれすぎて真実のように思
っている。
御言葉から生まれた思い
▲さて、こういうところに主の福音、御言葉が入るとどうでしょう。
「主の言葉は小さいところからはじまり、
御言葉から生まれた思いは少しずつ大きくなっていきます」。
主の存在感
主の存在感が自分の中で増す度に自分に新たな感情や思い、考えが支配するようになっ
ていきます。
そうすることで、今まで自分がとれなかった選択、
●やめたかったこと、
●直したかったこと、
●自分はこういう人物なんだと受け入れたくないのに受け入れていたことに
●対峙する選択が生まれてきます。
●あるいは直さなければいけないという考えすらなかったところに直す、
●改善するべきという考え自体が発生するところからはじまります。
やがてそれは大きくなり、少しずつその人を変えていきます。
●今までなれなかった自分、
●できなかったこと、
●改善しようとも思っていなかったこと、
それらを変える力が与えられていきます。
1ヨハネ3:8
罪を犯している者は、悪魔から出た者です。
悪魔は初めから罪を犯しているからです。
神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ち壊すためです。
それは罪を打ち壊す神の力です。
1ヨハネ3:3-7
キリストに対する望みをいだく者は皆、キリストがきよくあられるように、自分をきよくします。
罪を犯している者は皆、不法を行っているのです。罪とは律法に逆らう事なのです。
キリストが現れたのは、罪をとり除くためであったことを、あなた方は知っています。
キリストにはなんの罪もありません。
誰でもキリストの内に留まるものは、罪を犯しません。
罪を犯す者は誰も、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。
子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行う者はキリストが正しくあられるの
と同じ様に、正しいのです。
罪を罪と認識していなくても罪とわかるようになり、それを打ち壊す力が与えられていきます。
変革の一歩
あるいはその前の段階で自分のつっかえになっている思い、
行動を打ち壊すところからはじめられます。
何度も失敗するかもしれませんし、
何度か前の状態に戻って再度打ち壊す必要と勇気がいるかもしれません。
しかし、神はあなたが不可能だと思っていた聖潔を得るため、戦いの力を与え、
あなた自身を変える準備をされています。
1ペテロ5:8-10
身を慎み、目をさましていなさい。
あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを探し求めな
がら、歩き回っています。
かたく信仰に立って、この悪魔に立ちむかいなさい、
ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は、同じ苦しみを通ってきたのです。
あらゆる恵みに満ちた神、
すなわち、あなたがたをキリストにある永遠の栄光の中に招き入れて下さった神ご自身が、
あなた方をしばらくの苦しみの後で完全にし、堅くたたせ、強くし、不動のものとして下さい
ます。
少しずつ強くし、徐々に固いものでも食べられるようにしてくださり、最終的には岩のように
固い信仰にしてくださいます。
1ペテロ4:1-8
こ のように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心
構えで、自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを絶
ちました。
こうしてあなた方は、地上に残された時を、もはや人間の欲望の為ではなく、神の御こころ
の為に、過ごすようになるのです。
あなた方は、異邦人たちがしたいと思っている事を行い、好色、欲情、酔酒、遊興、宴会騒
ぎ、忌むべき偶像礼拝などにふけったものですが、それは過ぎ去った時で、もう充分です。
彼らは、あなたがたが、自分たちと一緒に度を過ごした放蕩に走らないので、不思議に思
い、又悪口を言います。
彼らは、生きている人々をも、死んだ人々をも、すぐにもさばこうとしている方に対し、申
し開きをしなくてはなりません。
と言うのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それは、その人々が肉
体においては、人間としてさばかれるが、霊においては神によって生きるためでした。
●万物の終りが近づきました。ですから、祈りの為に、心を整え、身を慎みなさい。
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。。愛は多くの罪をおおうからです。
アーメン