おひさぶりです。めにです
軽く過去を振り返ってみようかと
小学校の頃
小学校1年生の頃に、『将来の夢』という何をやりたいかのことを紙に一言書く機会がありました。
私自身はその時に将来の夢を書くことができませんでした。
それはいっぱい夢があるということではなく、本当にやりたいことがなかったからです。
今振り返れば子供らしくないことですね。
目の前の遊ぶことに全力は出してましたけどw
幼稚園から続けていた水泳は楽しかったのですが、小学校中学年の時になかなかタイムが伸びず次のステップにいけませんでした。そこでもう諦めてました。スイミングスクールをよくサボるようになってました。初めての逃げです。
水泳の次は剣道です。小学校5年生の頃に近所にある剣道教室に通い始めました。
最初は親が勝手に申し込んで嫌々行ってました。しかし、途中から面白いと感じ始めました。周りはみんな私より小さい子ばっかりでしたが、みんな楽しそうでした。私も楽しめました。
中学校に入り部活は剣道部に入りました。最初はテニス部とどっちにするか悩んでましたが結局は剣道ぶでした。
中一の時は嫌な先輩が一人いました。今でも会いたくありません。(その部分は割愛)
中二になり1個上の先輩が夏で引退しました。その時に剣道部部長に多数決で決められました。正直な話人の上に立つ立場は得意ではなかったのですが、腹をくくり一生懸命やってみました。同級生のエースに比べたら全然弱いけど自分なりに部をまとめられる存在になろうと思ってました。大会の結果は市内大会で個人でベスト8に入れたのはなかなかよかったです。団体戦も市内ベスト3にも入れました。
中学三年生の最後の引退試合の一ヶ月前に腰を壊しました。剥離骨折です。医者にはこれはくっ付かないと言われ激しい運動もしばらく控えるように、と言われました。
しかし最後の試合にはなんとかして何かしらの形を得ようとは考えてて素振りだけはやってました。同時に一年生の基礎練習をずっとやってました。
いざ試合前になり腰の痛みもある程度引いてきて痛み止めの薬も飲んで練習を再開しました。
しかし結果はよろしくない。個人戦で二回戦敗退。腰さえやられてなくてちゃんと練習出来てれば勝てる相手でした。個人の評価はそこで終わりました。次に団体戦です。なんとか負けないで最低限の引き分けに持ち込みが多かったです。しかし団体戦でこれはよくない。仲間の足を引っ張ってる。勝たないと…気持ちだけ先走って体がついてこない。結果、市内大会はなんとか通過しましたが次の大会で初戦敗退。泣きたかったです。自分のせいで負けた、怪我さえしてなければ…いろいろと落ち込みました。
その時初めて、『努力しても無駄なんだ』と子供なのに思ってしまいました。
そこからなのか、いろんな場面で逃げ出そうとして、思考を破棄してた。
高校受験の時に『工業系でもいいんじゃない?』と言われ、なんとなく工業高校に進み一年間水泳部に入りここでまたタイムが伸びず辞め、勉強も適当、授業中も遊んでばっか。
高校を卒業する年になって、また進路が決まってなく、ただぼんやりと就職しようかな、程度の心構えしかなかった。
親父は『自分のやりたいこと見つからなければ大学行って探してもいいんだぞ』と言ってくれました。
じゃあ大学どうするかって話になると、兄が行っていた大学に行きました
最初の頃は勉強も大変でいままでのつけが回ってきた感じがしました。もっと勉強しとくんだったなっと。大学3年の頃にバイト先の人間関係でうつ、統合失調症、入眠困難になり大学を半年休学。しかし治りませんでした。大学復帰後もなかなか寝付けなくて薬も多く貰い、起きれなくなり、授業にも出ずに家で寝てました。
そこから2年経ちある程度回復したのですが、今度は「このままだと留年しかしないな…」と感じ大学を中退。職探し。
今までのコンビニを辞めパチ屋でバイトしつつ就職活動してました。
パチ屋で一年働いた後にIT系の会社にSEとして就職が決まりました。
はじめは嬉しかったです。こんな私にも就職できたんだ、って。
しかし、上司のパワハラに耐えられず3ヶ月で辞めました。
次にバイトで警備をやってみました。正直暇なバイトでした。
しかし警備もやって就活もしてたので半年後にはまた就職が決まりました。
しかし就職先も工事現場関係なので朝が早く始発で会社に向かい、車で移動し、終わったら会社に戻り次の日の支度をし帰るのがいつも21時~22時ぐらいで寝るのが23時ぐらい、その生活を3ヶ月続けたら血便がでました。医者にはストレス性のものだと言われました。
そこでまた病気を盾に辞めました。往復4時間の電車通勤はきついっすわー
また後日続きを書きます
軽く過去を振り返ってみようかと
小学校の頃
小学校1年生の頃に、『将来の夢』という何をやりたいかのことを紙に一言書く機会がありました。
私自身はその時に将来の夢を書くことができませんでした。
それはいっぱい夢があるということではなく、本当にやりたいことがなかったからです。
今振り返れば子供らしくないことですね。
目の前の遊ぶことに全力は出してましたけどw
幼稚園から続けていた水泳は楽しかったのですが、小学校中学年の時になかなかタイムが伸びず次のステップにいけませんでした。そこでもう諦めてました。スイミングスクールをよくサボるようになってました。初めての逃げです。
水泳の次は剣道です。小学校5年生の頃に近所にある剣道教室に通い始めました。
最初は親が勝手に申し込んで嫌々行ってました。しかし、途中から面白いと感じ始めました。周りはみんな私より小さい子ばっかりでしたが、みんな楽しそうでした。私も楽しめました。
中学校に入り部活は剣道部に入りました。最初はテニス部とどっちにするか悩んでましたが結局は剣道ぶでした。
中一の時は嫌な先輩が一人いました。今でも会いたくありません。(その部分は割愛)
中二になり1個上の先輩が夏で引退しました。その時に剣道部部長に多数決で決められました。正直な話人の上に立つ立場は得意ではなかったのですが、腹をくくり一生懸命やってみました。同級生のエースに比べたら全然弱いけど自分なりに部をまとめられる存在になろうと思ってました。大会の結果は市内大会で個人でベスト8に入れたのはなかなかよかったです。団体戦も市内ベスト3にも入れました。
中学三年生の最後の引退試合の一ヶ月前に腰を壊しました。剥離骨折です。医者にはこれはくっ付かないと言われ激しい運動もしばらく控えるように、と言われました。
しかし最後の試合にはなんとかして何かしらの形を得ようとは考えてて素振りだけはやってました。同時に一年生の基礎練習をずっとやってました。
いざ試合前になり腰の痛みもある程度引いてきて痛み止めの薬も飲んで練習を再開しました。
しかし結果はよろしくない。個人戦で二回戦敗退。腰さえやられてなくてちゃんと練習出来てれば勝てる相手でした。個人の評価はそこで終わりました。次に団体戦です。なんとか負けないで最低限の引き分けに持ち込みが多かったです。しかし団体戦でこれはよくない。仲間の足を引っ張ってる。勝たないと…気持ちだけ先走って体がついてこない。結果、市内大会はなんとか通過しましたが次の大会で初戦敗退。泣きたかったです。自分のせいで負けた、怪我さえしてなければ…いろいろと落ち込みました。
その時初めて、『努力しても無駄なんだ』と子供なのに思ってしまいました。
そこからなのか、いろんな場面で逃げ出そうとして、思考を破棄してた。
高校受験の時に『工業系でもいいんじゃない?』と言われ、なんとなく工業高校に進み一年間水泳部に入りここでまたタイムが伸びず辞め、勉強も適当、授業中も遊んでばっか。
高校を卒業する年になって、また進路が決まってなく、ただぼんやりと就職しようかな、程度の心構えしかなかった。
親父は『自分のやりたいこと見つからなければ大学行って探してもいいんだぞ』と言ってくれました。
じゃあ大学どうするかって話になると、兄が行っていた大学に行きました
最初の頃は勉強も大変でいままでのつけが回ってきた感じがしました。もっと勉強しとくんだったなっと。大学3年の頃にバイト先の人間関係でうつ、統合失調症、入眠困難になり大学を半年休学。しかし治りませんでした。大学復帰後もなかなか寝付けなくて薬も多く貰い、起きれなくなり、授業にも出ずに家で寝てました。
そこから2年経ちある程度回復したのですが、今度は「このままだと留年しかしないな…」と感じ大学を中退。職探し。
今までのコンビニを辞めパチ屋でバイトしつつ就職活動してました。
パチ屋で一年働いた後にIT系の会社にSEとして就職が決まりました。
はじめは嬉しかったです。こんな私にも就職できたんだ、って。
しかし、上司のパワハラに耐えられず3ヶ月で辞めました。
次にバイトで警備をやってみました。正直暇なバイトでした。
しかし警備もやって就活もしてたので半年後にはまた就職が決まりました。
しかし就職先も工事現場関係なので朝が早く始発で会社に向かい、車で移動し、終わったら会社に戻り次の日の支度をし帰るのがいつも21時~22時ぐらいで寝るのが23時ぐらい、その生活を3ヶ月続けたら血便がでました。医者にはストレス性のものだと言われました。
そこでまた病気を盾に辞めました。往復4時間の電車通勤はきついっすわー
また後日続きを書きます


