相手への評価は、自分への評価。投影という言葉もある。

ある人は、この世には、自分しか居ないという考え方を教えているらしい。
自分に起きる事はもちろん、親兄弟、子供、親戚、友達…ニュースでしか知り得ない人も含め、全ては、自分の現れ、自分だという。

上手くいかない事は、怠慢傲慢無知のどれか、もしくは複合ゆえだと。
全ては、自分の思い、意識が造った結果。

潜在意識と顕在意識が一致しないと、苦しみなどが生じる。

自分の潜在意識が自分の一部である、友達に何かを言わせたのに、気に入らなかったり。

そう考えると面白いなぁ。
ある出来事は、私は私に何を言いたいのか、何を望んでいるのか。そんな風に考えると一歩引いた目線でいられる。

同じ出来事に対して、自分がどう反応するか。反応の仕方で自分の成長が分かる。
注意とは、何かに注目する、実際には見なくても、気を配るような、注意を向ける意味のエネルギーを指す。

注意を向けたものは、増える傾向にある。

例えば、アトラクションの行列。並んでいる人の注意も集まるが、その行列を見る人の注意も引き付ける。だから、増える。

注意のエネルギーには、種類がある。

純粋な注意から、邪悪?な注意や中立な注意。疑いの注意や羨望の注意…などなど。

自分が人やものなどに、何の価値判断もない注意を向けられているか、疑問に思う。

自分の瞬間瞬間の思いに気が付いていなかったりするから。

何故かイライラするって時は、イライラの前に思う事があったから。
自分が拒否られたと受け取ってたり、自分の思い通りにならなくて、など。

素敵だなぁという注意もよくあるが、一見良さげな注意だが、素敵じゃない注意もしているから、出るのだ。

自分に都合の悪い事は、見えにくい。自分は、良い人でいたいから、プラスしかないと思いたいが、実は、マイナスもたっぷりある証拠。

最近、それに気がつき始め、ウゲーって思ったのだ。私って、私って…

プラスもマイナスも2つで一つ。

まぁ、良いか…全ては、元々、意味はなく、自分が瞬時に価値判断、意味付けしているだけだから。




愛の逆は、罪悪感だそう。自分は、それに価しない、無価値感。

憎しみは、方向性を間違えた愛だって。
確かに愛なのは、分かる。方向性を間違えた愛かぁ。

愛の逆は、シカト…関心の無さかと思ってたが、罪悪感かぁ。罪悪感という感じがまだよく分からないなぁ。

自分は、それに値しない感じって受け取れないって事かなぁ?

愛は、与える方で逆は、受け取る…受け取れないって感じが愛の逆なら、なんとなく分かる気がする。