着いた。でも、なんというギリギリ。

4月2日にいたのは7時間ちょっとでした。

いきなり再度飛んで、30日の23時15分。

うーん、やはりまだ欠陥なところが多い。

でも一応、狙った日に来られたので、平成最後の日を体験してみるとしませう。

2014年の10月25日に日本を経って、L.A.経由でNYに入ったのが27日。UConnの研究室に入ったのが28日。

実験に参加したのが11月12日。

今は、2019年4月2日。

何年と何日飛んだ?

たった二週間で、何年と何日飛んだの?

いや、少し失敗してる。

令和の直前、4月30日に来るはずだったのに、30日ほどズレた。

Malletさん計算違い。いや、CTCの錐径が予想より細かったか?

ま、いずれにしても、ここが2019年だというのは間違いないようなので再開しましょう、二週間前の続きを。

これから日々の表現の場をPodcastへと完全移行します。
番組の立ち上げと収録にえらい時間がかかってしまっていて、このblogを更新をしている暇が全然とれなくて。
それでまぁ、どちらも表現の内容としては同じであるならひとつにまとめた方が良いって思ってね。
あっちは残念ながら、この架空キャラである『河瀬ロイ』じゃないけど、さすがに毎回声を加工するほど面倒なセッティングはしていないので私の生声で配信しています。暇なときにでも私を探してみて下さいな。
ま、2年ちょっとくらいですか、長い間ご愛読ありがとうございました。
それでは、ご機嫌やう。
YouTubeの音程を調べる機械ってどういうシステムなのか分かりませんが、かなり細かいところまで比較検査できるものみたいで驚いております。
先日スタジオで練習していたときにドラマーのオッサンがiPhoneを取り出して「最後にどれくらい出来てるかこれに動画で録って見てみよう」なんて言い出してさ、まあ、そのiPhoneを正面に固定して最後に一回合わせて撮影しました。
その時は録った後にみんなで見て「本物っぽいねぇ」なんて言って帰ったのですが、帰った後にオッサンが『バンドで弾いてみた』みたいなノリでその動画をYouTubeに上げたらしいんです。そしたら上げたら速攻で『この動画はココとココとココが著作権にひっかかってます』みたいな表示になって公開できなかったらしい。
つまり、その『ココ』って部分が原曲と完全に一致している部分なのでしょう。逆に言えば指摘された部分以外は原曲とは違っていた部分。私の耳には頭から通してほぼ原曲通りに合っていたと思っていたのでそれはそれでショックですが。
前に私も同じように動画をUPできなかった事がありましたが、その時は元の音源と全く同じに録音できるかっていう企画で、音響研まで巻き込んで服の擦れる音まで再現したりしていたので著作にひっかかたときはある意味で『機械に勝った』って思って喜んだりもしたものですが、今回、定位置に置いたiPhoneで録音して、使ってる楽器や器材だって原曲とは違う訳で、それでも『これはあの曲だ』って見抜いて著作云々でUPさせない機械の性能って相当なものだと思います。
しかし、やっぱり完全一致じゃダメなのでしょう。著作云々より、目指す先が完コピじゃつまらないですよ、やっぱ。
物心付く前からギターを弾いていたけど、これまで一度もちゃんとTHE BEATLESの曲を聴いた事が無いのと同じく、本業で物書きの仕事をしているにも関わらずこれまで一度も太宰治の文章を読んだ事がありません。
最近、いろいろな場所で太宰の名前を耳にするような気がして。流行っているのでしょうか。
THE BEATLESにしても太宰治にしても、ちょっとした違いでストーンズと三島由紀夫はどちらも今の私の大部分を形成するくらい影響を受けていまして、ロン・ウッドは私が始めて共演した海外のギタリストだし、三島由紀夫はその生涯に書いた全ての文章を読んでみたいって思うくらい最も尊敬している人ですが、THE BEATLEしかり、太宰の文章は読みたいとは思えなくて。
食わず嫌いなだけなのかもしれませんが、どうも自分の女性遍歴を書いているだけのような気がしてね。
物書きの業界では恋愛遍歴みたいな文章ってあんまり好かれないものです。誰だって書けばウケるからね。爆弾ってやつですよ。それを連チャンでやって注目された太宰治って、まあ、コロンブスの卵って意味ではすごい功績なんだろうけどね。
私も今日は爆弾を書いていい?
どうもこの匂いはそんな気分にさせる。
さっきまでとある知り合いの男がここにいました。
久し振りに男に抱かれたのですが、その男、最後に私の顔に出そうとして外して、枕とシーツの上に全部出してしまって。アホです。
二人でティッシュでパタパタ叩いてキレイに拭きとってはみたのですが、匂いは消えなくて。
ファブリーズでもかければ匂いもとれるのでしょうが、なんとなく、さっきここで男が私を抱いて果てたんだってなっていう現実がその匂いの中にあるようで、消臭に踏み切れないでいます。
願わくば匂いよりその温かさを体の上に感じたかったけどね。

さて、ファブリーズをとってきましょうか。
消臭したら今日はもう寝ます。
おやすみなさい。
今日は久し振りに原宿へお洋服を買いにゆきました。
私のイメージに合わない街No.1。
この駅で降りる事さえちょっと恥ずかしさを覚える年頃ではありますが、普段からジーパン以外はフレッドペリーの服を愛用しているので、原宿にしか直営店が無いため『服を買いに原宿へ』っていうのはいつもの事ではありまする。
でも、今日はフレッドペリーではなく、新しいステージ衣装を探しに行ってきました。
今回のテレビ出演用っていうのもあったし、ステージ用の服ってそんなに何着も持っていないので、いっつもおんなじって思われるのもちょっとねぇ。一応レディなので。
私のステージ衣装はどれもまんまスティービーレイヴォーンの衣装です。違うのは私のGパンがリーバイスの646なくらいかな。646にはこだわりがあって、10代の頃からこれしかGパンは履いていないのでこれをステージ衣装にも使っていますが、そのほかはレイヴォーンの完コピを目指して帽子に羽を自分で付けたり、同じデザインのネックレスを自作したりして、かなり似た仕上がりになっています。
しかし、冷静に考えると私もミーハーっていうか、コスプレに近い事をやっているなぁって思いまして。今日は今までの衣装にちょっと自分のオリジナリティっていうものを加えてみようかと思って、何かそんな服を求めて原宿の街をさまよってみたのです。
でも、まんまレイヴォーン風の衣装なら裏原あたりを歩けばあっという間に揃うんだけど、そこにオリジナルな色を付けるとなるとこれがなかなか難しくてね。
私的には今までの衣装の上に古い色褪せた着物をコートみたいに羽織って山本寛斎みたいなイメージがいいかな?って思って柄物の着物を探していたのですが、原宿に着物は売っていないようで。
結局原宿ではなんの収穫も得られず、帰りがけに地方都市の大きな通り沿いにあった某リサイクルショップの看板が目に入ったので試しに寄ってみたら、いやぁ古い着物ががズラッとあるわあるわ。しかもどれも1万円均一。クリーム色に赤い花の柄が入った古い着物をゲットして帰って参りました。
東京も最近はファッションもなにもかもスマートブームみたいだから、こういったヒッピー系の無駄の極地みたいなカルチャー物は返って地方に行った方が手に入りやすくなっているのかもしれませんな。
ベルボトムのGパンとか、着物とか、お肉の脂身みたいなもので、無駄に見える部分に旨味が詰まっておるのです。
それを削ぎ落としてスマートさばかり目指していては人生までパサパサになってしまいますぜ、都会のお人よ。
うむ、スタジオミュージシャン達との練習2回目、やって参りました。
合うような合わないような。
バンドとかさ、音楽の楽しさってどこにあるんだろって考えてしまった。
スタジオ系の人ってやっぱ極限まで正確に弾ける。私も結局練習はしなかったけどそれなりには弾けるので今日はピタッと合わせる事はできて、ちょっとした感動っていうか、達成感みたいなのは瞬間的に感じたんだけどさ、ライブとかでギリギリの演奏をやってのけたときみたいなスリルの後の開放感みたいなのは全然無かったんだよね。
「はい、良くできました。」
みたいなあっさりしたものでしかなかった。
やっぱり私はバンドマンなのでしょう。その時々の気分で即興で弾く方が好き。やった事無いけど、いけるかな?とか、あれをやってみるのは今しかない、とか思った瞬間に躊躇なくもう指が動きだしてるってくらいの緊張感で演奏してるときがやっぱ私には一番楽しい時間であります。たとえそれが失敗したって、それに気が付くのは自分だけ。盛り上がってる客でそこにブーイングしてくる人なんていないものです。ロックって音楽は何をやっても結果は良い方に転がるように出来ているものですから。
今まで、もう正確には思い出せないくらい沢山の人達と組んでバンドをやってきました。
みんなそこそこ演奏が上手な人達で、ハンドで売れるより堅実に努力で小銭を稼げるスタジオミュージシャンになってゆきました。
音楽業界もさ、日本人の性格上そんな真面目な人達ばっかりだからロックが衰退しちゃうんだと思う。
今回は久し振りにテレビでギターが弾けるっていうんで何も考えないで仕事を受けてしまったので、やることはきっちりやりますが、こういう束縛の多い演奏依頼はもう受けないようにしようと思っています。
それとも、生放送なんで本番で粉雪のソロにジミヘンの魂を私に憑依させて狂ったようLittlewingのソロをぶっ込んで二度と出演依頼が来ないようにしてみるのも一考かと思っておりまする。
東京オリンピックのせいで『50年』っていう節目がやたらクローズアップされているようですね。
近所のおじいさんが「50年振りの同窓会をやるんじゃよ」なんて言ってはしゃいでおりましたが、果たして何人生きておられるのやら。
人間にしてみりゃ50年って長い年月なのでしょうが、私が今愛用しているもので50年物って結構多いです。
ギターで云えばストラトもテレキャスもレスポールも64年製は最前線で使っているし、たまーに使っているアンプのフェンダーBasemanも確か64年製だったと思う。それに最近いつも身につけている腕時計CITIZEN7も64年製だったような。みんな現役バリバリ、活きが良いです。
ギターに関して、この64年製っていうのはまさにゴールデンエイジでして、ちょっと前は『30年物のヴィンテージ』なんて言われていましたが、あれから20年も経ったのですね。
以前にも書いたかもしれませんが、この年代のギターって他の年代のものと明らかに音が違います。
その決定的な違いっていうのがPUにありまして、それが面白い。
この年代にPUを専門に作るセイモアダンカンの工場に『アンティおばさん』という一人のパートさんがいまして、彼女はPUに手巻きでコイルを巻く作業を担当するパートさんでした。
以前、私もこだわって、手巻きのPU作りっていうのを名古屋の工房でやった事があるのですが、電動ドリルの先にマグネットだけが付いたPUのケースを取り付けて、手で銅線を引っ張りながらドリルを回してマグネットに銅線を巻き付けてゆく訳ですが、その引っ張りの力加減で巻き付けのキツさが変わって音色がかなり変わるものなのです。
今は全部機械でやっているので力加減も均一で、同一ロットで音色が違うなんていう事はないのですが、昔は回転こそ機械でやっていても引っ張りは手作業でやっていたので同じロットのPUでも作業を担当した人によって音色が違っているものでした。だから古いギターのPUの裏には誰がコイルを巻いたかっていう手書きの名前が書いてある細長いマスキングテープが貼ってあります。
その中でも『神の手加減』を持っていたのが『アンティおばさん』でして、彼女の巻いたPUはほんとに他のものとは別物、偶然彼女の力加減が良い音色になっただけなのでしょうが、こういう微妙な感覚って真似できるものではない訳で、彼女はただのパートのおばさんからロック界の聖母マリアとして一躍その名は世界中のギタリストに知られるようになった訳です。
彼女の力加減って確かにすごいもので、シングルでもハムでも、何を巻いても唯一無二のめっちゃくちゃ良いロックサウンドが出るんですよね。
私も現在持っているギターのPUはリップスティックとグレッチ以外は全てアンティおばさんブランドのアンティクイティに乗せ替えています。
しかし、アンティおばさんも人の子、その神の力加減も歳によって微妙に変わってゆくもので、その最も脂の乗った絶頂期っていうのが64年だったって言われています。
確かにそうだと思います。
アンティクイティって90年代後半まで現行で生産されていましたが、初期から最後期のものまで私は使っていますが、不思議なもので後期になるほど新品なのに明らかに音が枯れてきます。音に艶や色気がなくなってくる。それはそれで伝説になるほど良い音となっているのですが、こんな電気部品のひとつが作り手の人生を投影するような音を発するものなのかと思うとエレキギターっていう玩具もそう捨てたもんじゃないって思えてくるではありませんか。
去年の5月にスウェーデンでマララさんに逢ったときの話でも書こうかと思いましたが、長くなりそうなので今日は今日の話をサラッと書いてみます。
今日は例の番組出演のための1回目のバンド集合となりました。
私的には練習なんかしないで、その日に集まってぶっつけ本番の方が通の人には見ていて面白い演奏ができるんじゃないかって思っていましたが、他のメンバーさんはそうは思っていないようで。
みんな結構マジです。困ったのぉ。
要は私達はバックバンドとして召集されたようで、ボーカルは某芸能人がやるとの事。私は今日始めて知りましたが、みんなは知っていたようで。多分、私も聞かされてはいたのでしょうが、自分がギターを弾くって事以外、誰が歌うとか全く興味興味が無かったので頭に入っていなかったのでせう。
それで皆さん緊張していたのですか。
それに、集められた人達はみんなスタジオミュージシャンばっかだったので、基本みんなステージは苦手なのでしょう。
職業音楽家でない人達のためにちょっと説明しますと、職業ミュージシャンって大きく分けて2つに分けられます。
バンドマンとスタジオミュージシャン。
バンドマンってのは人前で演奏するのがめちゃくちゃ得意です。良く言えばノリがいいのでちょっとくらい演奏をミスったって顔芸でごまかして盛り上げられる。悪く言えば、毎回その場のノリでテキトーに演奏してるからレコーディングでちゃんと弾けずめちゃくちゃ時間がかかる。
逆にスタジオミュージシャンっていうのはレコーディングの専門家で、どんな曲でも一発で正確に弾ける職人タイプ。収録の時間にスッとスタジオに現れて、頼まれた部分だけサッと弾いてサッと次の収録現場へと立ち去ってゆく仕事人。腕はバンドマンよりスタジオミュージシャンの方が遥かに上だけど、スタジオ系の人ってライブでの演奏がめちゃくちゃ苦手です。
普段人前で演奏しないからっていうのもあるけど、最大の理由はライブでは録り直しがてきないっていうプレッシャーが彼らにはすごい重圧になるようで。
レコーディングではもし失敗してもやり直せるっていう安心感があるからこそ彼らは自信をもって自分の限界ギリギリの高度な演奏ができる訳で、その命綱が無くなると守りに入って急にしょぼくれてしまうのが弱点です。
しかし今回、客は入ってるとはいえテレビ番組なんてのは失敗したら撮り直せるんだからレコーディングと同じでしょうにって思っていたのですが、どうやら生放送らしい。
うむ、これも今日始めて知ったぞい。
下手したら何万人単位で見られる訳ね。それで皆さん一ヶ月も前から緊張して集まってる訳か。私はどっちかっていうとバンドマンなので全く緊張などこれほども感じていなかったのですが、演奏する曲何だっけ?っていう根本的なところでジワッと緊張が。
みんなめっちゃ楽譜に書き込んでるし。相当練習してきたみたいですね。
アナ雪と粉雪ね。私、練習してないどころかまだ一回しか聴いてない。当然、どんなメロディーだったかすら覚えてない。
とりあえず楽譜持ってきて良かった。アレ?持ってきたっけ?って思ってバッグを開けるまで緊張で血の気が引きましたよ、まったく。
「とりあえず一回合わせてみよう」なんて言ってさ、みんな人がいないハコだとめちゃくちゃ上手なんだよね、本業なんだからそりゃそうなんだろうけどさ。
私も楽譜追いながら合わせたけど、曲知らないし、初見だし結構必死で着いていったのですが、やっぱり神経質なスタジオ組にあっさり見抜かれ、「あの、いいんだけど、それ全然原曲と違いますよね」と言われてしまいました。
うむ、いかにも。
だって、原曲知らないし、さすがに初見で音符までは追えません。そんなに目良くないし。
コードだけ見てテキトーにベースのリズムに絡んどけばいっかなんて思って弾いていたら、みんな超真面目で困る。
大体、大の大人が集まって原曲とまるっきりおんなじに弾く事もないでしょう。それだったらカラオケ流しておけばいいだけだし。
そんなこんなで今日、練習初日は音楽性の違いから早くもバンド解散の危機な初顔合わせとなりました。

尻切れ文章ですが、今日はなんだか疲れていて、もう眠いので寝ます。
おやすみなさい。
イスラム国に参加しようとした北大生が警察に捕まったっていうニュースを目にしました。
なぜ捕まるのか分からない。
言論の自由が保障されているならば、たとえそれが偏見に充ちた思想であったとしても、思想の段階でそれを取り締まるのは少しおかしい気がします。
イスラム原理主義については私もその深層心理までは分かりませんが、ただ快楽的に殺人を繰り返している訳ではなく、何かしらの自己主張を受け入れてもらいたくてその過激な表現のひとつとして殺人という手段をとっているのだと思う。さすがに思想そのものが殺人至上主義ではないと思うし。
今の日本にはそれほど熱心な思想家ってのもいなくなりましたが、ほんの数十年前までは三島由紀夫など、その殺人の対象が自身であっただけで、人の命をスポットライトとして自身の主張を世の中により広く伝えようとする手段をとる人、風潮っていうのはこの日本にも常套手段として存在していましたし、よっぽどその主張に自身がなければ、そこまでしないでしょう。
今回捕まった北大生は単に自暴自棄になって流行りものにすがっただけのおバカさんだったようですが、今後、より高度な知識や思想を持つ人達がイスラム原理主義を理解し、イスラム国に賛同しようとする動きが現れた場合、日本の政府はどういった対応をとるのか気になります。
ま、こんな事を考えるのには、私は政治、宗教の一切、どこにも属さない代わりに、それら俗世の一段上から全ての声を中立的立場で一旦聴いて理解しようとは思っているからで、イスラム国に関しても彼らが何を欲しているのか知りたいと思っていたからです。
それがよほどのものでもない限り、毎日命懸けの戦闘を続けたり自爆したりはできないできないでしょ、普通。