我が家の食事メニューは、
いつも私が考えます。
毎日、
「今日は何にしようかな?」
と、
その時の季節やお天気、
自分や家族の
こころや身体の感覚を想い、
思い浮かぶものや、
広がる感覚を頼りに、
メニューを決めています。
すぐに決まることもあれば、
なかなか決まらず
お買い物に行ってはじめて、
ピンとくることもあり。
日々のことであり、
しかも、食事は、
幸せで楽しい時間にしたいので、
メニュー決めは、
私にとって、案外、
大仕事のひとつであります。
いつも、
私が作ったものを
何も言わずに食べてくれる
家族からリクエストがくることは、
あまりありません。
でも数日前、
久しぶりに家族から、
以前焼いたフォカッチャを
また焼いて欲しいという
リクエストがあったので、
この週末、さっそく作りました。
一品決まれば、
その他はすぐ決まります。
メニュー決めがなかった分、
エネルギー満タンで、
楽しくお料理できました。
そして、
思いました。
誰かが決めてくれるというのは、
私にとって「楽」なんだなぁと。
以前の私は、
「常識」とか「普通」という
その枠を大事にしていたつもりでした。
だけどそれは。
言い訳ならいろいろあるけど、
結局、「楽」だから。
この「楽」を選んで、
私は生きていたんですね。
自分の想いは口にせずに、
自分のこころで決めずに、
自分の意志を立ち上げずに、
その結果が、
例えば望んでいなかった
ものだったとしても、
私は口を挟んでないから、
私のこころで選んでないから、
私の意志はそこにないから、
どこも痛まずに、
「しょうがないよね」
「まぁ、こんなもんなのかな」
と、
ふんわり何かのせいにして、
諦めたり、流したりしても
平気だったあの頃。
「楽」ではあったけど、
「楽しく」はなかった。
いつも、
こころにはいつも空虚なところがあって、
自分の真ん中にぽっかりとあいていて、
その真っ黒い穴を、
埋めようとして必死に生きていたけれど、
なんだかまったく、満たされなくて。
どうしてなんだろう?
と、思って、
答えを探していた時。
その穴は、
外からの何かではなく、
自分で満たすことなのだという
その言葉にこころ魅かれて。
私は自分の生き方を
変えようと思いました。
自分で決めて、
自分で行動して、
自分で受けとる。
自分のこころで決めて、
決めたことは行動して、
行動の結果を、
誰のせいにしない
何のせいにもしない
その生き方を選んだ時のことを
懐かしく思い出しました。
自分のこころで生きるのは、
最初はしんどかった(笑)
自分のやった結果が、
痛いのもつらいのも、
まったく薄まることなく
自分にかえってくる。
思うような結果じゃないばかりか、
よかれと思ったことを
迷惑がられて受け取ってもらえなかったり、
気合いをいれて頑張った結果で
かえって叱られたり。
しんどいなぁ
と思う。
涙が出たりして。
でも、
このしんどさから、
今まで自分が
逃げてきたことも知って。
その度に、
腹をくくって
引き受けることを決めて。
そのうち。
99はしんどいんだけど、
1つ、嬉しいことがあったりすると、
それもまた、
薄まることなくダイレクトに
自分に戻ってきてくれて。
それがたまらなく幸せで、
この上なく嬉しくて。
たった一つのそのことで、
またがんばろうと思う。
そんな、
今の自分の生き方は、
「楽」じゃないけど
「楽しい」なぁと、
ふと、笑ってしまいながら。
焼き上がったフォカッチャは、
とても美味しくて。
またがんばってみようと
思いました。
