トルコからの取材相次ぐ 日ト友好120周年を前に | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

トルコからの取材相次ぐ 日ト友好120周年を前に

トルコからの取材相次ぐ 日ト友好120周年を前に


 2010年は、トルコ軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本町樫野沖で遭難して120年を迎える。600人余りの乗組員のうち助かったのは69人だけという悲劇的な事故だったが、日本とトルコの友好の始まりでもある。トルコ国内でも日ト友好120周年を前に関心が高まっており、トルコの放送局や学生らが同町を訪れ、あらためて両国の友好の原点となった現場や関係者を取材している。


 22日は、トルコ国営放送のスタッフらが訪れた。制作する番組はドキュメンタリーで、タイトルは「南アジアと極東でのトルコ人の足跡」。10カ国を取材し、トルコでは10月から放映が始まる。その中の一つとして、エ号の遭難も取り上げる。

 トルコ記念館では、引き揚げられたエ号の遺品を撮影。偶然、曾祖父がエ号遭難事故の生存者の一人という、イスタンブール工科大学の講師、アイシュ・ナザン・アクマン・ペキさん(42)が記念館を訪れており、話を聞いた。町担当者からは、遭難に至るまでの経緯や当時の様子などをインタビューした。

 シナリオライターのエクレム・サルティックさん(28)は「来年の120周年に向け、トルコ政府挙げて準備も進めているし、国民の関心も高まっている。エ号が日ト友好の突破口を開いた船だということに焦点を当てて取り上げたいと思っている」と語った。

 今月に入ってほかに、トルコ国営放送の下請けの制作会社が、日ト友好についてのアニメ番組を作りたいと取材に訪れた。10月には、別のテレビ局がエ号の遺品引き揚げを中心に取材に訪れる予定という。

 23、24日には、東京工芸大学芸術学部3年生のファーティ・オゼリさん(24)が写真撮影で訪れた。

 オゼリさんは、日本の外交官との交流などがきっかけで、日本の文化に興味を持つようになったといい、同学部写真学科に在籍している。エ号遭難120年を前に、トルコや日本で写真展を企画したいと考え、訪れた。同町を訪れるのは初めてという。

 町担当者の案内で、エ号慰霊碑やトルコ記念館、樫野埼灯台、料理鍋などエ号引き揚げ遺品が展示されている串本海中公園センターを訪れ、熱心に写真撮影をした。エ号遭難時の話を伝え聞いている地元の人も取材した。

 オゼリさんは串本町の駅に降り立った時「トルコ友好の町」と書いた大きな看板が目に入り、樫野にも慰霊碑や記念館など立派な建物があり、大切にされていることに感動したという。「時代は変わっても、当時、トルコ人の救出にあたった人たちの血は今も流れていると思う。写真を通してそれを伝えることができれば」と語った。


【エルトゥールル号遭難について取材するトルコ国営放送のスタッフ(和歌山県串本町樫野で)】

(2009年08月24日更新)