死者と共に在る国 日本 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

死者と共に在る国 日本




ーーーーーーーーーーーーーー

 かへる霊


川路 柳虹(りゅうこう)


汽車はいつものやうに


小さな村の駅に人を吐き出し、

そつけなく煤と煙をのこして

山の向こうへと走り去つた。



降り立つた5、6人のひとびとは

白い布で包んだ木の箱を先頭に、

みんな低く頭を垂れて

無言で野路(のみち)へと歩き出す。



かつての日の栄光は、

かつての日の尊敬すべき英雄は、

いま骨となって故郷へ還つたが、

祝福する人もなく、罪人(ざいにん)のやうに

わづかな家族に護られて野路をゆく。



青い田と田のあひだに

大空をうつす小川

永遠の足どりのやうに

水の面(おもて)に消えまた現れる緩(ゆる)い雲。



この自然のふところでは

すべてが、あまりに一やうで

歓びと悲しみも、さては昨日も今日も、

時の羽搏きすら聞こえぬ間に生きてゐる。



無言の人々に護られた英霊は、

燃える太陽の光りのなかで、

白い蝶のやうな幻となつて

眩しくかがやき動いてゐつ。



かへるその魂の宿はどこか、

購(あがな)はれる罪とは何か?

安らかに眠れよ、ただ安らかに

おまへを生み育てた村の家に、

戦ひのない、この自然と人の静かさの中に。

ーーーーーーーーーーーーーー
GHQに検閲された詩




靖国神社は、日本の歴史からいえばまだ百数十年という短いものですが、突然できたというよりは、日本人の長年培ってきた死者への対し方、日本文化の積み重ねによってできたものであると思います。
日本では何でも神になりうるわけです。太陽の神、海の神、山の神、田んぼの神、かまどの神。山川草木ってやつですね。
個人が神になることもよくある。菅原道真、秀吉、家康、東郷、乃木。
当時の軍人さんが靖国神社に入る、というのは感覚としてはそういうことなんじゃないか。あの帝国主義全盛の時代、近代国家となった「日本国」に靖国神社が創立したのは、昔からの日本の文化として自然な気がする。
井沢元彦さんだったかな?「日本は死者の支配する国である」と書いていました。小泉八雲と一緒の意味で言っているのだと思います。死者は遠くへ行ってしまうのではなく、すぐそばで見守っていてくれると言う感覚。靖国神社でいえば、九段に行けばまた会えるわけです。そんな感覚を失わないようにしたいですね。