「対馬丸」と「奉東丸」の報道の差 | 忘れないようにメモメモ(日本の歴史、近代史)

「対馬丸」と「奉東丸」の報道の差

引用ーー

貨客船「対馬丸」に関する誇張、偏向表現
一九四四(昭和一九)年八月、沖縄から長崎に向かっていた貨客船が米潜水艦に撃沈され、兵士を含む一四八四人(うち学童七六七人)が死亡した事件である。筆者の母は、この「対馬丸」の生き残りである。日本マスコミはこの「対馬丸」について、「学童疎開船」として悲劇を誇張して伝えている。九八年(平成一〇年)小泉厚生大臣(当時)を含む約四〇〇人が洋上慰霊祭を行っており、今年になって那覇市内に今年になって那覇市内にこの事件の記念館も建設された。これで県民の戦争トラウマがより深くなることは必死だ。
 対照的に四五(昭和二〇)年八月二十二日、北海道留萌沖で、北方領土から引き上げの婦女子を乗せた「奉東丸」以下二隻がソ連潜水艦L12、L19に撃沈され、死者合計一七〇八人という犠牲を出している。なぜ日本のマスコミや政府は、これに一切言及しないのだろうか。明らかな差別ではないか。
  本来なら「奉東丸」も「婦女子非難船・奉東丸」と表現してしかるべきである。さらに悲惨なのは、ソ連潜水艦が漂流中の日本婦女子に対し、浮上して機銃掃射さえ行っていることだ。しかも日本は八月十五日に降伏しており、戦争は終了していた。したがって「対馬丸」非難学童のように軍属扱いにして、遺族に軍事恩給を支給することも出来ないのだ。奉東丸事件に対しては、国は洋上慰霊祭を行わないばかりか、NHKでさえこの攻撃潜水艦を今なお「国籍不明潜水艦」と報道室し続けているのである。これでは、マスコミは「反米」という国民の世論を形成するために米国の戦闘行為のみにスポットを当てているのではないか、と疑われてもしかたがない。
ーー(沖縄ダークサイド 野村旗守編 P14惠隆之介)


対馬丸のことをマスコミが誇張しているというより、奉東丸の報道の仕方がおかしい。共産主義国が大好きなんでしょう。今でもそんな感じ。