全女最後の社長が飛び降り自殺





 全日本女子プロレス解散時の社長だった松永国松氏が17日午後6時すぎ、東京・品川区内のビル7階から飛び降り自殺していたことが18日、分かった。目黒区内の病院に搬送されたが、死亡が確認された。63歳だった。自殺の理由は分かっていない。



 国松氏は全女を経営した松永一族の四男で、二男健司氏、三男高司氏、五男俊国氏とともに68年の旗揚げに参画。ジミー加山の名前で団体のメーンレフェリーも務め、数々のビッグマッチを裁くなど活躍した。フロントとしては主にマッチメークと巡業の責任者を務め、ビューティ・ペア、クラッシュギャルズを擁した黄金時代を支えた。選手からは「国マネジャー」と慕われ、選手の管理部長的な存在だった。



 団体は97年10月に、バブル崩壊に伴う外食産業、不動産などのサイドビジネスの破たん、女子プロレス人気の低迷から2度目の不渡りを出し、事実上倒産した。だが、残った選手とともに興行を継続し、最後まで団体を守り続けた。



 全日本女子最後となった4月17日の後楽園ホール大会ではレフェリーとして試合を裁いた。終了後には健司副会長とともにリングに上がり「37年間、応援ありがとう。こんな終わり方で、ファンに申し訳ない」と土下座して謝罪した。



 全女旗揚げに参画した松永兄弟では、元社長の俊国氏が02年9月22日に心不全で57歳の若さで死去。高司元会長は病気のため、現在は自宅療養している。(日刊スポーツより)





最盛期には横浜アリーナ、東京ドームで女子プロの

オールスター戦を開催し、順風満帆に思えた時期も

あった全女。



北斗晶、井上京子、アジャ・コング、豊田真奈美・・・

スター選手の離脱



倒産、ギャラ不払い、会場費の未納



道場以外に秩父に合宿施設を所有し、選手育成に

手を打つ以外にも、都内等の数ヶ所にカラオケBOXを

オープンし、引退したOGの再就職先にと手を打つ等、

ある意味、理想的な団体運営をしていたはずが、

どこでおかしくなったのやら・・・



かつて、北斗晶は全女イズム=松永兄弟、

良い意味、悪い意味の両方で『いい加減』、『丼勘定』、

こんな表現をしていたと思う。



その道のトップを究めても、落ちる時には落ちる。



最近のドーム興行に失敗している団体には

対岸の火事と捉えないで頂きたいところ。





そういえば、食べたことはないけど

羅漢果ラーメンなるものも出していましたね・・・