ZAKZAK 2005/07/13
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急逝・橋本真也さんめぐる「2人の女性」の存在
再婚考えていた…
脳幹出血のため11日、40歳の若さで急死したプロレスラーの橋本真也さん。「破壊王」としての栄光と、晩年は借金や離婚という挫折を味わい、あっという間に短い人生を駆け抜けた。そして、その陰には2人の女性がいた。
「橋本さんは先週の火曜日(5日)に来たばっかり。ダイエット中なので、ざくろハイ2杯とカニ、それからメロンをおいしそうに食べて帰っていきました」
橋本さんが通った居酒屋「海賊亭」(横浜市南区)。店主のリキさんは元女子プロレスラーで、橋本さんは「横浜のお母さん」と慕った。
「橋本さんは人柄のいい、純粋で優しい人。ユーモアがあってよく冗談を言っていたが、寂しがり屋だった。店に来るお客さんにも、気さくにサインや記念撮影に応じていた」とリキさん。
「不整脈は気にしていたが、手術せずに治療できると言っていたし、最後に会ったときも元気そのものだった。(急死は)信じられない。涙も出ない」と、声を詰まらせた。
橋本さんが倒れたのは、横浜市内の知人女性宅だった。橋本さんと交流があった地元男性は、「ここ数年、橋本さんは奥さんや子供たちと別居し、(知人女性宅で)女性とその2人の子供たちと一緒に暮らしていた」と明かす。
この女性は平成15年3月にがんで亡くなったプロレスラー・冬木弘道さん(享年42)の未亡人、薫さん(42)。冬木さんの死から1年あまり、主宰団体「冬木軍」を女手ひとつで取り仕切った。
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「がんが一度快方に向かい、冬木さんは橋本さんと対戦を約束したが、結局かなわなかった。病床の冬木さんは子供が小さいこともあり、『何かあったときは頼むな』と橋本さんに託したようだ」(地元男性)
冬木さんの告別式では橋本さんが弔辞を捧げた。そして「薫さんが『冬木軍』の社長を引き継いだあと、橋本さんは何かと相談に乗り、興行にも参加し続けた。そのうち、2人の関係も親密になっていった」(同)
薫さんは昨年4月、自身が代表取締役となり、橋本さんを取締役に据えてエステ関連会社を設立した。
「子供っぽいところのある橋本さんに、子供さんたちも懐いていた。橋本さんは参観日や運動会にも顔を出していた」(地元の主婦)
前出の地元男性によれば、「今年3月に正式に離婚が成立して、橋本さんは薫さんと再婚する気だったが、薫さんは『籍は入れない』と話していた」という。
平成12年に創設したプロレス団体「ZERO-ONE」は多額の負債を抱え、橋本さんは昨年11月に経営権を放棄した。
「お金に無頓着な橋本さんは前の家族に養育費も払っており、借金は数億単位だったと思う」(プロレス関係者)
右肩の大手術を終え、今秋のカムバックを目指してトレーニングに励む橋本さんは、「もう一度リングに立てれば、数年で完済できる」と周囲に話していた。その視線の先には、新しい家族との幸福な生活があったに違いない。
「海賊亭」では、「灰になるまで毎日、陰膳をしてあげたい」というリキさんの親心から、橋本さんが最後に座ったカウンター席に、ざくろハイとおしぼりが置かれている。
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元々、某巨大掲示板では噂になっていたことが死によって
あらためて明らかにされてしまった。
正確には、プロレスメディアでは公然の秘密として触れて
なかった事が、死によって一般メディアで取り上げられて
いる内にスキャンダルとしてって事なのでしょう。
2人のツーショット、先日6月13日の映画「宇宙戦争」プレ
ミアム試写会にそろって姿を見せたもので、他のメディア
でも普通に使われていたのを見たし・・・
本当の意味でのMr.IWGPだった破壊王
大人になりきれなかった破壊王
幼少から複雑な家庭環境で育ってきたという破壊王
藤波に騙されて古巣を追われる形となった破壊王
複雑な心境ではあるけど、そういったことを全て含めて
好きだったんだなぁと実感。(不倫を肯定する訳ではない)