北島が世界新記録 スピード社水着で
競泳 北島がLRで世界新 二百メートル平泳ぎ
北京五輪壮行会を兼ねた競泳のジャパン・オープン最終日は8日、東京辰巳国際水泳場で行われ
男子二百メートル平泳ぎの決勝で、英スピード社の水着で挑んだ北島康介(日本コカ・コーラ)が
2分7秒51の世界新記録で優勝した。
北島はこれまでハンセン(米国)が2006年8月20日に記録した2分8秒50を1秒近く下回った。
今大会で北島は、五十メートルと百メートルの同種目でも
スピード社の水着を着用して日本新記録を出しており
出場したすべてのレースで自己記録を塗り替えた。
北島康介は「泣きそうです。何よりもジュニアの時から
このプールで泳いできて、ここで世界記録を達成したかった。
五輪では金メダルしか頭にありません。取れなかったら
(日本に)帰ってこないです」と話した。
北島が世界記録を更新したのは、03年7月の世界選手権
での二百メートル平泳ぎ決勝以来で、二百メートルでは3回目と
なる。
日本選手が国内で五輪実施種目の世界新記録を達成したの
は、1972年の日本選手権での青木まゆみ(女子百メートル
バタフライ、ミュンヘン五輪金メダル)以来、36年ぶりとなった。
参考資料=(産経新聞・他)
「家政婦は見た!」25年目で幕 !
「家政婦は見た!」25年目の惜別ラスト
テレビ朝日「土曜ワイド劇場」(土曜後9・00)の人気シリーズで市原悦子(72)主演の「家政婦は見た!」が
7月12日放送の第26作でファイナルを迎える。
1983年の第1作から25年。エリート家庭に派遣された家政婦・秋子が、表からはうかがい知れないドロドロと
した人間関係をのぞき見るという内容で、お茶の間に親しまれてきた。市原は「いとおしい」と代表作との別れを
惜しんだ。
同局の関拓也プロデューサーは 「番組が好調なうちに、いい形で終了させることで、市原さん演じる家政婦
秋子という素敵なキャラクターと番組を、人々の心にいつまでも残したいと願っています」 とシリーズ終了の
理由を説明。 「ファイナルでは家政婦・秋子の“のぞき見人生”の集大成をお見せし、有終の美を飾りたい」
としている。
47歳だった第1作から72歳まで変わらず主演を務めてきた市原は「寂しい気持ちでいっぱいですが、一方
でホッとしたという面もあります。いろいろなことが勉強できた、いい番組でした」と感慨深げ。
「殺人事件がないのにスリルがあり、現代を暴くというストーリー。それを社会派ドラマに仕上げてくれた。
秋子さんにはエールを送るとともに、いとおしい気持ちでいっぱいです」と代表作との“別れ”を惜しんでいる。
市原主演の作品では、フジテレビ 「おばさんデカ 桜乙女の事件帖」(94年~)シリーズも昨年終了した。
ドラマは、その時々で注目される業界の人々を取り上げ、リアリティーあふれる社会派ドラマとしても
評価された。
最新作は、外務官僚宅に派遣された秋子が華やかな家庭に隠された秘密を探る物語。
テレビ朝日開局50周年記念特別企画として放送され、佐野史郎(53)、かたせ梨乃(51)ら
豪華キャストが脇を固める。
オシム氏 病後初の記者会見
アドバイザー就任のオシム氏「今度は私が頑張れと言う番」
日本サッカー協会は4日、都内のJFAハウスでイビチャ・オシム前日本代表監督のアドバイザー就任記者
会見を行った。会見に出席したオシム氏は「向こう側の世界まで行って戻ってきました」とオシム節で会見を
始め、 「これまで支えてくれた皆さんに感謝します。今度は私が『頑張れ』と言う番だ。日本の選手はもっと
走らなければならない。技術のある選手も走る量を増やして、考えるスピードを速くして、プレースピードを
速くしなければならない」と、アドバイザーとして早速日本サッカーに注文をつけた。
オシム氏は今後、指導者養成、ユース世代の育成、日本代表チームなど日本サッカー全般に関して助言
などを行う。また、オシム氏は今月行われるユーロ(欧州選手権)2008を視察する予定で、田嶋幸三専務
理事は「オシムさんの経験を生かして日本のために海外サッカー情報を仕入れてもらいたい」と、オシム氏の
広い人脈による情報収集能力にも期待を寄せた。
昨年11月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、代表監督を退いたオシム氏は、3月25日に退院。
日本代表やJリーグの試合などを精力的に視察していた。
参考資料=(スポーツナビ)
欽ちゃんの母 101歳で死去
欽ちゃんショック101歳母が死去
タレント萩本欽一(67)の母の萩本トミ(はぎもと・とみ)さんが2日午前2時40分、肺炎のため都内の病院で
死去した。101歳。 トミさんは5月31日、自宅で体調を崩し入院していた。萩本は仕事の合間に、何度も
見舞いに訪れ励ましていたという。
この日、監督を務める茨城ゴールデン・ゴールズ(GG)の試合に出掛ける前、トミさんの死を知らされた。
ショックを受けた萩本だったが「試合で勝ったらお母さんが勝たしてくれたということかな」と、日立市民球場で
の都市対抗野球大会茨城県予選、3位決定戦に出掛けた。結果は3-1で茨城トヨペットを下し北関東大会
出場を決めた。試合後はテレビ収録で地方ロケに出掛けた。
肝っ玉母さんとして知られるトミさんは、萩本の仕事をめったにほめなかったが、98年に萩本が長野五輪閉会
式で司会を務めた際に「いい仕事をしてるね」と初めてほめてくれたという。
葬儀、告別式は家族と近親者のみで行う。喪主は長男功(いさお)氏。
トミさんは、カメラの製造販売業を営んでいた萩本家に嫁ぎ、会社の倒産で貧乏暮らしを強いられながら
6人の子供を育てた。
参考資料=(日刊スポーツ)

