シングルベッド | こころはロンリー 気持ちは・・・日々色々日記

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つい吐き出してしまうひとり言を書こうかな~と言う日記・・・

先日NHKの「SONGS」で

久しぶりにシャ乱Qの「シングルベッド」を聴いた。


シャ乱Q「シングルベッド」

この曲を聴くと胸が熱くなって泣きそうになる想い出がある。


「シングルベッド」が流行ったのが1994年。


1992年、当時勤めていた会社の人事異動で

東京本社に異動となり墨田区東曳舟に住んでた。

大阪を離れる時

友人や母親と離れるのが悲しくてめっちゃ泣いてた。

東京に住み始めても毎日のように大阪に電話して

毎月の電話代が4~5万くらい来てた。



そんな寂しい時間を過ごしてた時

同じ会社の経理担当の年上でバツイチ子持ちの女性と仲良くなった。

休みの度に会うようになって

夏を過ぎたあたりに付き合うことになった。

会社に内緒にしてたのであんまり外で会うってことな出来なかったけど。



実は生まれて始めて付き合った女性だったので

すべてが感動だったり嬉しかったり・・・

その反対に会えない時のいらだちや子供への配慮などで電話すら出来ない時とか

相手に子供がいてることへの不満などが頭ん中ぐるぐる回る時もあった。



お互いの気持ちが高まったのもあって

会社を辞めて大阪に連れて帰ろうと思って彼女に伝えてみたら

不安がいっぱいあるけどついて行っても良いよと返事をもらった。

そして会社を辞めて彼女のアパートに転がり込むことになった。

最初は彼女も彼女の子供も仲良くやってたけど

生活観念や金銭感覚などから

大阪に帰ったとして何するの?どうするの?と言った現実的な話で

毎日のようにケンカをしたり

彼女の子供は東京にいたいと泣き続けるし・・・

結局、たった1年の同棲生活は

俺がひとりで大阪に帰る事で終わることになった。

でも、俺は諦めたくないから

迎えにいけるよう大阪で頑張って働くから

もう少し待ってくれるか?と伝えるのが精一杯の誠意みたいな風に思って

彼女に連絡するのはちゃんと迎えにいける時にしようと思い

大阪で頑張って働こうと・・・したけど

何もかも上手くいかない生活に自暴自棄になる毎日を送ってた。


その年の秋に「シングルベッド」が流行り

彼女のことを思い出したり心配したりする日々が続いてた。

そして1995・1・17

あの阪神淡路大震災が発生した。

色んな人から心配の電話がかかってきてたけど

彼女からは何も連絡がなかった。

冬の寒さは人恋しくするみたいで

どうしても彼女に会いたくなって

東京に行き、彼女に連絡して会うことになった。

1年ぶりに会った彼女は

俺が大好きだと言っていた長い髪の毛を短く切り

俺がクリスマスプレゼントであげたフードのついたコートのフードを切り落としていた。

大震災の事で俺のことは心配してたらしい。

でも、もう大阪に行くことはないと。。。

実は、俺が大阪に帰った次の日

別れた元夫に連絡して一緒に住むことになり

近々再婚するって言われた。

そして二度と会うことはないけど

良い人探してねと言って彼女は去っていった。

1995年の2月の御茶ノ水駅だった。


改めて思うと

俺の考え方の幼さや馬鹿さ加減に情けなく思ってしまう。

彼女の気苦労や迷惑かけたことを思うと

いまだに心が痛い。


そんな青臭い俺と

シャ乱Qの「シングルベッド」がリンクしてしまって

たまに聴くと胸が熱くなる。