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ROGERのブログ

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明け方の死だったので、通夜は翌日の夜まで持ち越された。私たち家族は、霊安室に設けられた座敷にて、納棺されるまで兄の亡骸に付き添っていた。


顔に掛けられた、薄い白い布ごしに、兄の閉じられた目がうっすら見えた。

もう直接見ることも許されない気がして、私は布ごしに、兄の顔を見つめ続けた。

布団に手を差し込んで、私が大好きだった、シワシワなのにすべすべな、柔らかい兄の手を一晩中握り続けた。


通夜を超えると納棺され、もう一晩を過ごした。今度は兄を守る線香の火を絶やすまいと、小まめに補給し続けた。


病院の、兄の友人たちが、次々に霊安室を訪れた。ある人は「何でお前みたいないい奴が!」と泣きむせんだ。

私の大好きな、家族のアイドルだった兄は、当然ながら一生のほとんどを過ごした病棟でも、誰からも愛される人気者だったのだ。それはとても嬉しく、かつ寂しくもあった。


私の知る由もなかった、兄の長い長い病棟での暮らし、同室の患者や医師たちとの触れ合いに、改めて思いを馳せた。彼らこそが、共に過ごした時間としても、境遇を同じくする同族意識としても、私たち家族より、はるかに家族的な、深い仲だったのだ。


兄も、こうして何人もの仲間たちを見送って来たのだろうか、と思った。

進級して奥の病室に移るごとに、昼夜を共にした仲間たちが、一人、また一人と居なくなるのを、間近に見て来たはずだ。


ある日、病室の向かい側にある集中治療室に仲間が運び込まれ、肉親たちが思い詰めた顔で駆け付け、やがて悲嘆の嗚咽を上げるのを、何度となく見てきた筈だ。


窓から穏やかな陽光の挿し込む、快適なこの病棟は、何年か先に訪れる「死」と隣り合わせの場所であった。


兄と彼らには、死線をくぐり抜け、生き延びた「戦友」のような、深い絆が有ったに相違ない。年に2、3度顔を合わし、二週間ほど過ごすだけの私などよりも、はるかに深く固い絆が。


もう嫉妬する力も無かった。むしろ彼らに対して肩身が狭い思いだった。自分にはこれぐらいしか出来ないことを悔しく、いや寂しく思いつつ、5分おきぐらいに座布団から身を起こし、線香に火を付けて、棺の前の線香立てに刺して、を朝まで繰り返していた。



兄の遺品がまとめられ、霊安室に運び込まれた。衣服、文房具、教科書、ノート、そして漫画やカセットテープ。兄の遺した物的財産は、座敷の隅に寄せられるほどに少なかった。


自分のプライバシーの品々を、こうして遠慮なく誰かに触られ、日記まで閲覧されてしまう。一切の「聖域」を失ってしまうのが「死」なのだ、と痛感した。


しかし、物的な聖域は無くなっても、兄の脳内の無限の聖域は、消滅することによって、誰にも手出しできない、本物の「聖域」になることも、同時に悟った。


兄は身体を「N」の字に丸め、身体を横向きにした、いつもの寝姿で棺に納められた。

兄の体躯は棺の上半分ぐらいで納まってしまい、足元には、兄の様々な愛用品が詰め込まれた。


兄が最後に愛聴していた、山下達郎とリチャード・クレイダーマンのカセットテープを、霊安室で聴いた。いずれも素晴らしかった。兄が私に教えてくれた、最後の音楽情報だった。このカセットも、後には棺に納められた。



出棺された棺を収めた、シンプルな霊柩車に同乗し、私たちは西別府病院を後にした。

車窓から振り返ってみれば、晴天の中、病院はいつも通りに美しく閑静な佇まいを見せていた。


しかし、もはや自分にとっては胸が踊る眺めではなかった。むしろ冷たく、よそよそしく感じた。


そこに兄が居ないからだ。私にとっての西別府病院を、アミューズメント・パークのように彩っていた兄は、今は自分の乗っている車の後ろで、小さな木箱に納まっているのだった。


物心ついた頃から通い続け、あれだけ馴染んでいたこの病院を、この先、訪れることは有るまい。



病院から車で一時間半ほど走った先に有る、緑に囲まれた美しい葬祭場にて、兄は火葬に付された。


最後のお別れの時、棺の小窓が開けられ、私は兄が死んで以来初めて、その顔を見た。

いつもの寝姿そのままに、横向きに寝かされていたため、私に見せるのも横顔だった。

納棺師に入念な死化粧を施された兄の顔は、うっすら頬紅を塗られ、血色よく見えた。

今にもコウ、コウとあの寝息を立てそうな、本当に、眠っているような顔だった。

私たち家族にはとうとう最後まで見せなかった、長い長い入院生活の中で貯めこんでいたであろう不安、ストレス、そして死に際の苦悶からようやく開放された、安らかで、穏やかな顔だった。



釜に棺が納められ、暴力的に禍々しい点火の音が響き渡り、それに連れて参列者が激しい嗚咽を始めた瞬間には、ギリギリまで信じていた奇跡へのか細い糸が、ついにフッツリと切れるのを感じていた。あの音は忘れない。忘れられる筈もない。兄の存在を、この世から完全に断ち切った音なのだ。


90分後、私も父や親類と一緒に、兄の遺骨を拾った。

初めて見る遺骨は、思ったよりも白く、軽く、呆気無いほどに脆かった。

棺の上半分にあたる部分に、小さく縮こまるように、固まっていた。


底の見えない恐るべき分量の知識、情報の詰まった脳は、影も形もなく燃え尽き、その部分ではカラカラに焼き尽くされた純白の頭蓋骨が、軽く崩れているだけだった。

兄の大きな頭を支えるためか、ひときわ発達していたノドの部分には、やはりひときわ大きな喉仏が有った。確か、私が喉仏を拾った筈だ。


兄は燃え去った。あのチョコンとささやかで愛すべき、しかし脳内には無限の宇宙を持っていた、何より大切だった兄の、その肉体は、この世から消えてしまった。


もう、夏休みになっても、正月になっても、母に抱かれた兄が実家にやって来ることは無いのだ、という事実を、私は目の前の骨の小山を呆然と眺めながら、ついに受け止めた。


受け止めざるを得ない、決定的な眺めだった。