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(つづく)
道路も着々とできた、開通すれば捕虜を収容所へ送ることになっている。連隊本部に報告が入ったのは間もなくしてのこと。道路が開通した。
道路の開通は少年を収容所に連れてゆくことを意味するのだ。
本来なら喜ぶべき偉業を手放しで喜べなかった。
捕虜達は調書名簿にその詳細が記録されている。名簿の担当は情報係のS少尉、K軍曹、A上等兵、K通訳達であった。私は取り調べ室に呼ばれた。
S少尉が『お前は少年捕虜を可愛がっているらしいな、しかし、明朝、他の捕虜達と一緒に護送する予定だ。異議はないか?』
彼は私の意図を察しての質問らしく、通常、軍隊ではこんな質問はない。
この瞬間、私は希望を持ちこう応えた。
『あの子は非常に利口で日本軍に対し悪意はありません。出来れば収容所へ送らずに私が貰い受け助手にしたいです。』
彼は苦笑すると、『多分そんなことだろうと、しかし、俺達の一存では。お前が直接頼み込んでみろ。』と知恵づけしてくれた。
私はW連隊副官のところへ行き、恐る恐る自分の考えを述べた。
W連隊副官は私を睨みつけ今にも怒鳴りそうな形相でこう言った。
『次の駐屯地に復帰するまでお前が責任を持て。』とW連隊副官はS少尉を呼び調書名簿から李の名前を抹消するよう指示してくれたのだ。
これは異例中の異例であった。李はどれだけ喜ぶだろうか。早速、通訳を介して正確に伝えることにした。『李よ、お前は収容所へ行かなくてもよろしい。連隊長に許可を貰ったのだ。そして今日から正式に私の労力だ。その代わり、悪いことをしたり逃げたりしたら私がお前を処分しなくてはならない、また私も責任上死なねばならない。』
彼も少年とはいえ元中国軍正規兵である。軍隊における責任の所在は理解しているようだ。説明を聞き終えるや、彼は正座して合掌し私に感謝の意を表した。
このお陰もあって他の二人の少年も収容所送りを免れ駄馬小隊の労力に編入されたのである。
支那事変を通じて未曾有の戦果をあげた中原会戦。
敵24個師団約168000名に対し我が北支方面軍は6個師団という四分の一の兵力で中條山脈の敵主力を壊滅した。
私達は新たに支給された防暑帽をかぶり6月の真夏の太陽を浴びながら隊列組み駐屯地へと行進した。
その中には白い布に包まれた戦友の胸に抱かれた遺骨をも連れて。
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抱かれて帰りし戦友のなきがらに手向けん一輪押桜花
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私は炊事場の苦労頭である王(ワン)を呼び、五円を渡して新品の少年用の衣服と靴を買いに行かせ、他の労力に李の頭を刈らせた。
兵隊達が入浴を終わらせるや、いやがる李を風呂に入れ体中泡だらけにして洗っやり、真新しい服を着させて医務室に連れてゆき三種混合の予防接種をしてもらい、これまで彼が着ていた軍服は彼の手で焼かせた。
さっぱりしたところで兵隊一人前の夕食と加給品の羊羹一本、かりんとう一袋、サイダー一本を与えた。
彼は目を丸くして喜び、かつ、むさぼり食った。
起居は私と共に、寝具や食事は兵隊一人前を与えた。
毎日、私の手伝いをさせて給料も毎月九円支給されるようにした。上等兵の私より二十銭ほど高い給料である。
最初は水汲みから始まり、徐々に写真技術を教え、身嗜みや生活習慣も日本兵なみに躾した。他の兵隊たちも李を可愛がり、暇あれば私は李に日本語を教え、李は支那語を私に教えた。
意思の疎通も出来、李は、私の戦地活動に大きく貢献した。
広大な大陸に点と腺を結ぶような我が軍の周りは全て中国人であり敵である。
何時、異変が発生しても不思議ではない。
従って情報係は周囲の状況を把握するため、中国人協力者を金、物、地位等で懐柔し密偵として敵地に放ち情報を得ていた。
私は、情報係に頼み込んで李の母親の情報を密かに掴んでおこうと思った。
李の故郷温県まで密偵を行かせて調べさせた。
密偵は一ヶ月ほど経って戻り報告に来た。
密偵の報告によると、、、
(つづく)
記:真正大和撫子
最終幕に近づいてます
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(つづき)
密偵は一ヶ月ほど経って戻り報告に来た。
密偵の報告によると、、、
少年の故郷は日本軍と中国軍が対峙している中間地帯にあり、緩衝地帯とも言われ村は疲弊していた。
少年の母は健在でいて、李が日本軍の中で元気に暮らしていることを写真を見せて伝えると、故郷を出て行きたい意向をもらしたそうである。
この話は李に伝えなかった。再会が実現しない場合を考えたのだ。
三ヶ月後密偵からの報告が途絶えた。李に伝えなかったことは、よかったと自己満足した。
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正月になると平穏になり李が私の労力であることも連隊全体に広まり歩哨腺もフリーパスで通れるまでになっていた。
ある日、一日休暇を与え冬服も新しいものを着せてやり若干小遣い銭を持たせて夕食までの門限で町への外出を許可した。
私も久々酒場へ行き好きなレコードを聞いていると、1時間位経って李が帰って。何か慌てて話している。
大人我的母親来々
詳しく話しを聞いてみると北京で李の母親と兄らしき二人に会った商人が町にいたとのことである。
その商人の話しを李は繰り返し話した。
母親はその商人に『私の息子は日本軍に世話になっている。名前は李栓、息子に会うためにはどの列車に乗れば良いか。』と聞いたそうである。
商人は詳しく旅程を教えてやり、商人が乗った後の汽車に乗ったのではないかとも話した。
李はオロオロと落ち着かず外出どころではない。
なんという偶然であろうか、密偵からの連絡が途絶え忘れていた李の母親だったが、、。
何はともあれ、受け入れ態勢を作ってやらなければならない。
この旨をK見習士官と治安係のM軍曹に話しをして相談に乗ってもらった。
まず衛兵に通門許可をてらせることから当座の宿の手当、食事、家、仕事。
李の母親が故郷を出て子供が助けられている日本軍を頼ってはるばる出てきた以上、放っておけない。
![真実の空模様-120124_211854.jpg](https://stat.ameba.jp/user_images/20120124/21/memorialrose-greatest/90/b6/j/t02200293_0240032011753613688.jpg?caw=800)
永住するつもりなら家や仕事は不可欠である。
戦友達を集めてことの始終を全て話した。
戦友達は協力してくれた。K見習士官が金十円を出した。他の兵隊達も二円、三円、五円と、、結果五十円余りが集まった。私の五ヶ月分の給料以上に匹敵する額である。
家探しはM軍曹とK上等兵にお願いした。仕事は会ってから判断しよう。
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そして、李の母親と兄が到着し王(ワン)の家に泊まらせ李も外泊を許し久々母親のお乳をいっぱい飲んで来いと言って送り出した。
慌ただしかった一日も過ぎて朝になった。朝食後に様子を尋ねると、永住のつもりで出てきたとのことで私の予想した通りであった。
K通訳を連れて李の母親に会い詳しく話しを聞いた。年令は45才位と聞いていたが60才位に見えた。かなり苦労したのだろう、表情や風貌が物語っている。自己紹介すると李の母親は深々と頭を下げた。初めて目の前にする日本兵に対する恐怖か遠慮からだろうか、何も語ろうとしなかった。そこで李の今までの給料五十四円に私財十六円を加え七十円を手渡してやった。
そうしたら小さな声で『謝謝』と言った。
李から聞いた話によると母親と共に来たのは次兄で中間軍にいたが病気になり、逃亡して故郷に帰った矢先に李の話を聞いて親子で離郷を決心したらしい。
密かに家屋を脱出したのだった。
その距離は九州から青森の距離に匹敵する。
落ち着いた時に次兄は軍の常傭労力に、母親は兵隊被服の縫製作業に使うように手当した。
ようやく李親子は家族揃いて暮らせる日がやってきたのである。
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他に。12月8日の真珠湾攻撃について、日米会戦はやむなし、アメリカの目を大陸に向けさせるための進撃だったのではないか?と当時の感性で気持ちを綴っていました。現地ではもちろん中央の事情など知らされてはいなかったことが判ります。
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次回、最終回!
つづく
記:真正大和撫子