Fujio Nakamto Blog

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私のホームぺージの中に開いています。 外で直接開くこともあります。 ステージ 4 の癌治療中の老人、気まぐれに更新しています。

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O大付属病院の一階ホールのクリスマスツリー。 今日の皮下

注射、これの痛さは、数時間後から局部が熱をもって、耐え難

いひどいのだ。色々、書きたいがそれどころではない。冷やしな

がら寝るしか仕方ない。 数日間は何もできない。

癌細胞との闘いである。

病院にお世話になって、主治医に親しく治療に携わっていただき、総じて、考えてみた。 病気は、治すのではなく、【治る】ものだという事だ。 治すのではない、治るという事。 ただの神頼みではない。 生きている限り、自分の体を構成している、細胞は、常に自然の摂理により、生まれ治癒し回復するのだから、その働きを見守るだけで、病気は治るのだ。 その自然な治癒力を阻害する【病原】を取り除くのが【科学】だと思う。 近代医療は、手術をいう、技術を中心とした医術を良しとして、病原を取り除くという手段の科学が発展した。 だが、 最近の医療の現場がその間違いに気づき始めた。 体の病気の部分を取り除くのではない。 体の異常な働きを正常に戻す、それが【医術】だと気づき始めたのだ。 だから、認識的には、治すのではなく、治るであり、治る方向に【認識】が向くことが自然なのだ。

病気は治ると信じたとき、私は元気になれるのだ。 医師も治してくれるのではない。 治ると信じて、それを手助けしてくれるのだ。 医師も病院も、命に責任を持つのではない、命の責任は、自分の体が持っていて、正常に働くことを助けてやる、つまりはわが身が責任をもって正常に働くこと。 精神も神経も安静にして、回復を待つこと、つまりつまり、治すのではない治るのだ。 

わかるかなあ。 究極の【屁理屈】ダ。 

 

そこに、意識が到達すれば病気は【治る】のだ。 病気は、病院が治すものだなんて思ったら、【依存症】であり、神仏頼みである。 治ることはない。 と、考えてみた。  中本

 

主治医と、阿吽の呼吸で感じた知恵。  

     「病気は、お前(私)が治せ。」

 

予約診察は、11:30。通院は、9:00。血圧、体重、採尿、採血 6本、心電図、抗癌注射、昼食、実診察、12:30。所要時間 3:00。次回診察日相談。データ観察は、別室のアシスタント医師。

 

今日も主治医は言った。 

              「おっ、元気か??。」

 

主治医、データを眺めるだけだ。 一言も

     「こうしなさい。」

と、いうことはない。 問題なし、 病気は、治る。 

これが、免疫療法だ。 

 

もちろん、入院当初に点滴投薬としてオンコロジー治療をしているため。

 

 

不詳、私は、79 才の老人です。 只今、癌治療で通院しています。  私の実際が【癌】という病気のある一面として、参考になればと思い書いていきます。

癌だけをピンポイントにするより、癌になる以前と、癌が発症したことで、次に発症する、緊急に治療しなければいけない病気があると思う。 私の場合は、腎臓が、損傷した。 それ以前に膀胱が損傷し、それ以前に前立腺が癌になっていた。

まず、治療は、腎臓だ。 それを遅らすと、血液や肝臓が損傷する。 人工透析として治療すると、もう、健康回復はできない。 私の場合は、腎臓の健康回復する治療する事で、助かったのだ。 腎臓から、カテーテルで排尿する施術で助かった。 血液の健康回復も同時に治療された。 尿とともにたくさんの腎臓や血管から不純物が、排泄された。 医療の進歩はすごいなあと感心する。 

 

放尿として、排泄されるものは、不可思議なものだらけだった。 白い虫のよう、血管にたまったものや、時には、黒いゴロゴロ

したものまで出てきた。 医師も看護師もそんなことには、関心を持たない。 医師が見ているのは、結果とデータ。 パソコンの画面である。 たくさんの患者を治療するのだから、結果だけだ。

 

 私がする仕事は、放尿だけだった。 中本