わたしには、高校1年になる息子がいる。
彼は、NYのWhitePlains Hospitalで生まれたから、アメリカ生まれの日本人ということになる。
一歳半までをアメリカで暮らし、その後横浜に戻り、また5歳で渡米して7歳半までを過ごした。8歳からずっと会っていない父親は、今もアメリカに住んでいる。
彼は一見、明朗・活発という言葉が似合いそうなスポーツマンだが、反面、繊細で頑固な一面も持ち合わせている。それでいて、アバウトでアメリカ人的な気質が強い気がする。赤ちゃんの時から色んな人の笑顔を見ながら、笑顔で共感することを覚え、再び、5歳で義務教育の最初に歳に父親の仕事で再びアメリカに飛び込んで、人々と心の機微に触れながら過ごしたことも影響しているのかもしれない。
そんな彼は、小学1年生の3学期に日本の学校へ転入して以来、サッカーにずっとはまっている。それまではスキー、野球、テニス、空手、バスケットボール、水泳と毎日身体を動かしてきたが、日本の小学校に転入した日にうちに帰って来るなり、サッカースクールに入ると言って、カバンを玄関に置いてサッカーコートに走って行ってしまった。日本でもバスケット、テニス、空手、それにスキーも続けてやらせてみたが、他のスポーツには徐々に見向きもしなくなり、それでも小学4年までは、競技スキーとサッカーの練習を両立させていたが、サッカーを優先させて、他の子にタイムで負けたことが相当悔しかったらしく、以来、週末の時間のある時に滑りに行く程度になってしまった。息抜きに続けさせたかったピアノもレッスンに行く時間さえ取れず、結局、続かなかった。
そんな彼は、中学は、サッカーをクラブチームでなく、部活で真剣にやりたいと県外の中高一貫の私立校まで毎日片道1時間20分かけて通い始めた。そして今もその高校でサッカーを続けている。それが、どれほど大変なことかを説明しておくと同じ地域からサッカーの為にその学校に入ったのにサッカー部を最後まで続けた人は、まだ歴代3人しかいないらしい。実際、彼が中学の時、同じ地域からサッカー部に入っていた人は片手に余るほどいたはずなのに、いつの間にか彼一人になってしまった。
中学3年の全日本県予選ではFWのレギュラーで活躍し、県では準優勝を果たすこともできた。結局、関東大会で負けてしまったが、全国まであと一歩というところまで、闘うことができたことは素晴らしいことだとわたしは思っている。明日は、高校選手権の県予選の準決勝。高校生活あと2年間、最後まで自分に負けず、しっかりと頑張って欲しい。
普段の生活の中では、彼の顔を見るたびに小うるさく注意しているが、心の中ではそんな彼を誇らしく思っていることを、ここにこっそりと書いておく。