学校へ行けなくなった時

 

娘は多分

選ぶことが苦しくて、怖くて、たまらなくなっていた。

 

「行くのか、行かないのか」

「やめるのか、やめないのか」

「やるのか、やらないのか」

 

それはそれは

怖かったのだろうと思う。

どちらを選ぶのも

怖かったのだと。

 

 

そして

「どうしていいのかわからない」

「どうしてなのかもわからない」

「やりたいこともわからない」

 

そう言って嘆いていたなぁ。

 

 

 

 

 

「可愛い制服を着て、学校帰りに寄り道してプリクラを撮りたい」

 

そう言って高校復活を目指して

高校生になって

 

「まだ働きたくないから」

 

そう言って大学生になったけど

 

 

まだ彼女は苦しそうだ。

 

「何がやりたいのか」

「何が好きなのか」

 

それがわからない、何も無いと言い

 

「やりたくないこと」

「避けたいこと」

 

今は

それだけで動いているのかなぁと思う。

 

 

 

それで良くて

まずは「嫌なこと」をやめていく、がスタートでいいと思うけれど

 

本人がそれが

「逃げているだけ」

「ダメな私」

 

になっちゃう時があるんだろうなぁ。

 

 

 

まぁ、そうだろうね。

そういうこと思い悩む時だよね。

 

 

 

でもいつか

そんな方法だとしても

 

自分で選びながら

止まったりもしながらでも

少しずつでも進んでいけば

 

 

必ずトンネルは抜けるんだよ。

 

 

 

 

大丈夫

 

だいじょうぶ

 

 

自分のペースでいけばいい。

 

 

 

我が子の不登校をきっかけに

ママ友も少なく

ずっと保育士で乳幼児との関わりがメインだった私も

 

年齢幅の広い子ども(立場としての)や

子を持つお母さん・お父さんと関わることが多くなりました。

そして、我が子だけでない

本当にそれぞれみんな違う姿を見てきました。

 

でね

そんなたくさんの姿を見ながら

今思っていること。

 

 

我が子が学校へ行けなくなって

ほぼ引きこもりで

苦しんでばかりいるように見えた時期は

 

ずーーーーーーーーっとそこに

立ち止まっているように感じたの。

 

確かにあの時は立ち止まることが必要で

充電とか休息とか、そんな言葉で表現される何かをしていて

決して何もなかったわけじゃないことは

今ならわかるけど

 

あの時はそう思っていた。

「いつになったら進み出すのか」

「もしかしたらこのまま進み出すことはないのではないか」

とかね。

 

 

でね

最近思うの。色々な姿を見たり聞いたりしていてね。

 

子どもって

若いって

すごいなぁと。

 

 

例えばさ 一日中10時間以上ぶっ続けで眠れたりするのも

若さならではで。

 

・・・私は眠さはそれくらいあっても、いつもの時間にまず目が覚めちゃうし、途中でトイレや腰が痛くなって目覚めるようになっちゃったもん。

 

 

 

 

そんなふうに、もう立ち止まってて

二度とエンジンがかからないようなエンスト状態に見えてたのに

 

なんか自分から動き出したなって思い始めると

一気に加速する。

 

で、その時のパワーがすごいなぁと思うわけよ。

 

いや、決してすごく外に向いた行動が増えるってことだけじゃなくて

話してくれたり

探し始めたりって模索からなんだけど

何かキッカケを掴むと

ぶはーーーーーって進み出す。

 

顔が変わる。

 

 

途中息切れしたり

またエンストしたり

そんなところももちろんあるけれど

そんな繰り返しが激しいところも

不登校の子あるあるなんじゃないかなーと

 

そんなことをふと思った。

 

 

我が子も中3のこの時期に

一気にエンジンがかかった。

 

嬉しかったんだけど

同じくらい

不安だった。

 

 

「無理してないだろうか」

「叶わなくてもっと悲しむんじゃないだろうか」

「また途中で投げ出すんじゃないだろうか」

「本当にその望みなんだろうか」

「そのやり方でいいのかな」

「でもせっかくやり始めたのだから口出しはしない」

「いや、いや、いや・・・」

 

「期待し過ぎてがっかりしたくない」

 

 

笑っちゃうよね。

もう不安探し、しちゃうんだよね。。。。

 

親って勝手だよね。

 

でも

ここまで考えてあげてるって

すごいよね(笑)愛だよねーーー。

 

 

まぁ、こういうのっていらない心配なんだろうけど

それがしたいのが

親なのさ。

 

 

あれ

なんか何書きたいのかわかんなくなっちゃった。

 

不登校の集いのことも書こうと思ってたんだけど。

 

 

進んでも立ち止まっていても

あれこれ思うよね。

 

でも素直に喜んでいいんだよって

そんなふうにあの時の私に言ってあげたい

 

いや。今の私にもだな。

いまだに我が子に関してだけは

不安探しをしてしまう傾向にあるのだ・・・・

 

何かあった時は

その時にまた考えればいい。←自分に言い聞かせている

 

 

 

前記事はアメンバー記事に切り替えますね。

申請の場合はメッセージを添えていただけたら、と思います。

 

 

 

 

 

おはようございます。

 

まずはお知らせするね。

不登校のつながりの集いの会場はやっと個室でコースなし予約を見つけ

名古屋駅になりました。

現在5名の方が参加なので、あとひとりまでなら大丈夫です。

 

参加表明してくださっている方にはなるべく早く会場のお知らせメールします。

お待ちください。

 

 

さて徒然日記

 

この前ね、

娘が3月まで行ってた通信高校のパンフレットを見ていたの

(職場に置いてありました)

 

なんと

娘さん。卒業生の言葉、みたいなところにしっかり写真入りで載っていたんです。

ちょっと前に見つけて、びっくり!本人も知らなかった。

ちなみに前年度のも見たら、こっちは結構な大きさで笑顔で全身ポーズ取って掲載されてた(笑)

 

でね

その卒業生の言葉を読んでいたら

それはそれは、カッコいいこと書いてありました。

本人は「記憶ない」とか言ってたけど。

 

最初に読んだ時は、私はちょっと嬉しくて、感動すらしたのね。

 

でもね、つい先日読んだ時は

「はーーー!良いこというよね。。。全然中身ともなってないけどさ!」みたいに思っちゃったんだよ!!!

それをまたどれどれ?って一緒に見てくれた人にも言っちゃったんだよ。。。。

 

ちょうどさ

なんていうかその時、娘のあまりの自由さに「いつまで続くんだ?」と

ネガティブモードだったの。

 

 

 

人って面白いな、って思うのよ。

 

その娘の「自由さ」を

例えば不登校で引きこもっていた時期から考えると

本当に嬉しくて

そうやって生きようとしている娘が眩しくて

とことん応援しようと思う。

 

でもね

一旦落ち着いて、なんて言うか、そうして生きている姿に見慣れてしまうと

「自由さ」がどこか身勝手さに見えてしまって

それ以外のできないことの原因にさえ見えて、一気に悪者にまでなってしまう。

 

 

その時の私は

夕飯食べるのか食べないのか連絡が毎回なくて

毎晩帰りが遅くて心配が続いていた娘に対してイライラしていたから

とっても未来に対して前向きに書いてある娘の言葉を読んで

「そう言ってたくせに」みたいに思っちゃったんだよね。

 

まるで

「嘘つき」とか「口だけだ」とかそう感じてた。

 

 

 

 

・・・はい。

ごめんなさい。

 

 

本当はわかってる。

口に出した言葉

そこに書いてある言葉

全部決して嘘ではなくて、本心だって。

 

だけど

そんな理想通りにいかないし

決めたこと、サボるし、

もっと楽しいことに目移りするするよね。

 

ただそれだけのこと。

 

 

 

私も一緒だ。

 

例えば「ブログは週に3〜4記事は絶対書く」とか

「伝えたい想いが伝わるセミナー開催するぞ」とか

色々宣言して(自分やノートに)本気だけど

 

続かなかったり、サボったりするもん。

 

じゃあ言った言葉は嘘なのか?

 

 

いえ。本心だし本当はそう思っている。

だけど、意思が弱かったりして「今は」できていないだけ。

 

(まぁこれはこれで問題ではないのかと言われたら、色々ご意見はあるだろうけど

今日は大目に見て♡)

 

 

信頼するって、本当に難しい。

こうやって、何か気になることがあるたびに

グラグラ揺らいでばかりだ。

 

 

 

でも、こうして思い出せばいい。

 

 

娘に言わずにすんでよかった。

 

いや。

娘に言ったところで

親子だもの。

何度でもやり直しはできる。

 

 

 

あのパンフレット

もらいに行こうかなー。

 

 

 

おしまい

 

 

 

 

ずっと眠っていたここを再開したワケ

書いてみます。

 

前回大人の事情、と書いたように

直接の原因の出来事がこうだったとか、そういうことはもう関係ないと思っていて

そういうことを書こうと思ったワケではなくて。

 

心の動き、みたいなものを書いてみようと思います。

 

 

 

 

ここは本当に私の原点で大切な場所。

 

時々ログインしては

おともだちのブログも見させてもらっていました。

 

でも

カウンセラーや講師となって

お仕事ブログが別にできて

そこに娘の不登校の経験から感じる想いを

私自身がオープンに発信して

ここでできた繋がりのような

「ひとりじゃない」を感じてもらったり

「いばしょ」になりたくて

そちらに綴るようになって

そこに「わたし」が丸ごとそのままいました。

 

だからここに綴ることが、なくなっていました。

 

でも今回少し

勝手に思い込んでいたあっちにいた「丸ごとの私」というものを

見つめ直してみようと思ったのです。

 

子どもが不登校だったから

だからこう思うんだとか

 

不登校を経験していない人には

きっとわからないんだとか

 

もうそんなのいらないかなって。

 

 

伝わるかな

 

 

 

 

 

でもね

そうは言っても

事実は事実で。

 

例えば「傷の舐め合い」とかつて誰かに言われたような集まりでも

私はそんな風には思えず

とっても大切な場所だと思っているし

必要だと思っている。

 

だから今でも集うし。

繋がっていたいと思うし。

それは不登校を超えてのものになっているから。

 

 

だから、ここを再開して

ここはここで

残しておきたい、ただのバカ親で、親バカのような私を

飾ることなく綴って

繋がって

集って

いたいと。

 

 

 

今渦中にいて苦しい方には

 

もし必要ならば

私もかつてそうだったと

こんな風に嘆いて綴って、みんなに甘えていたと

知ってもらってもいいかなと思っています。

(アメンバー記事なので、その時はメッセージを頂けたらと思っています)

 

あちら側のブログの

不登校の集いについての記事も

少しずつこちらに移動させるつもりです。

 

 

 

なんかうまく伝わるかわからないし

まだこの先ここがどうなっていくかはわからないれど

 

今のそのままの気持ちを書いてみました。

 

 

https://ws.formzu.net/fgen/S12987084/