パトリック・モラーツは、レフュジー、イエス、ムーディー・ブルースという人気バンドのメンバーを務めたスイス出身のキーボードの神童です。息長く活動を続け、ソロ・アルバムも多数発表することになりますが、本作品がその記念すべき第一弾「i」です。

 モラーツはこの頃にはスーパースター、イエスに在籍していました。短い在籍期間でしたけれども、ちょうどその時期にイエスは全メンバーがソロ・アルバムを制作するという企画が進行しており、モラーツもその恩恵を受けてソロ・アルバムを制作しました。ラッキーです。

 アルバムはモラーツ自身が考え出した「i」の物語を音楽にしたコンセプト・アルバムです。「i」とは建造物のことで、ジャングルの中に立つ柱状の建物に全てを制御する丸い球が浮いているので、その見た目が「i」です。ジャケットにその雄姿が描かれています。

 その建物ではこの世のあらゆる夢と欲望をかなえることができます。しかし、その代償は命です。唯一生きて出られる方策は、上へ上へと昇りつめ、鍵を手に入れることです。それぞれの階では厳しい試練が待ち受けており、失敗すると死が待っています。

 これらの光景は件の球体が参加者の心情などとともに記録しており、全世界に放送しています。そんな中で禁断の恋に落ちた二人の運命は...というわけです。何やらイカゲームを先取りしているようなお話でもありますが、こちらは血腥くはありません。

 アルバムのサウンドは、そんなストーリーがあるとはなかなか気づきにくいです。何といってもここでモラーツが試みているのはラテンなんです。モラーツのピアノとブラジルのミュージシャンによるパーカッションのベーシック・トラックはリオ・デ・ジャネイロで録音されています。

 モラーツのキーボードはよく刻む速弾き満載ですから、ラテン・パーカッションとの親和性は高いと言えます。スイスとブラジル、プログレとラテンという意表をついた組み合わせですけれども、刻むサウンドが縁をとりもったのでしょう、とてもしっくりきています。

 本作品は、そのベーシック・トラックをもとにしているものの、基本はプログレ・スタイルで制作されています。多彩なミュージシャンが参加していますが、私が知っているのはスライ&ザ・ファミリー・ストーン出身のアンディ・ニューマークくらいでした。イエス人脈は皆無です。

 ソロ・アルバムですから当然のことですけれども、極めてしっかりとした演奏陣を従えて、もうここはモラーツの独壇場です。大きな物語にそってはいても、各楽曲は短くタイトにまとめられています。それらの曲にはボーカルも加わりますが、とにかくキーボードが目立ちます。

 ブックレットにはモラーツが使用している楽器群が長いリストになって記載されています。クラシックからラテンまで幅広い音楽を飲み込んで、華麗なキーボードさばきでみせていく。エンタメ系のリック・ウェイクマンとは一味違うキーボード奏者のソロ・アルバムです。

 イエスの各メンバーのソロ作品の中にあって、セールスはそれほどではなかったようですけれども、各方面からの評判はとても高かったと記憶しています。モラーツはこの後イエスを脱退し、新たなキャリアをスタートさせます。立派な履歴となる一枚です。

i (The Story of i) / Patrick Moraz (1975 Charisma)

*2013年9月10日の記事を書き直しました。



Tracks:
01. Impact
02. Warmer Hands
03. The Storm
04. Cachaça (Baião)
05. Intermezzo
06. Indoors
a) Interaction
b) Imp's Dance
07. Best Years Of Our Lives
08. Descent
09. Incantation (Procession)
10. Dancing Now
11. Impressions (The Dream)
12. Like A Child In Disguise
13. Rise And Fall
14. Symphony In The Space
(bonus)
15. Cachaça Variations
16. Cachaça's Children's Voices

Personnel:
Patrick Moraz : keyboards, vocal, marimbaphone, additional assorted percussions
***
John McBurnie : vocal
Vivienne McAuliffe : vocal
Ray Gomez : guitar
Jeff Berlin : bass
Alphonse Mouzon : drums
Andy Newmark : drums
The Percussionists of Rio De Janerio (Gibson de Freitas, Paulinho Broga, Hermes, Chico Batera, Gordinho, Bezerra, Bririmbou, Doutor, Nenem, Jorginho, Wilson, Geraldo Sabino, Risdinha, Jorge Garcia, Marcal, Luna, Elizeu)
Jean-Luc Bougeois : gongs, tam-tams
Auguste De Anthony : guitar
Jean Ristori : cello, bass
Philip Staehli : timpanis, percussion
Rene Moraz : tap dance, castanets
The Children of Morat, Switzerland
Veroniquie Mueller : vocal