加藤和彦によれば、「ヴェネツィア」は「おみやげ作品」です。ヴェネツィアが「やっぱり好きだからやってしまったという。ヴェネツィアの印象記みたいな。」、そんな作品です。いかにも加藤らしい向き合い方ですが、それにしても「おみやげ」とは軽やかな言い方です。

 ヴェネツィアは水の都として知られ、近年は地球温暖化の影響もあって水没の危機にさらされていることで何かと話題です。しかし、私の世代にとっては何といってもトーマス・マンの、というよりもルキノ・ヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」の印象が強烈です。

 いや、違います。ビヨルン・アンドレセンの「ベニスに死す」です。海の中にすっくと立ったアンドレセンの演じる美少年タッジオがはるか彼方を指差す姿には後光が差しており、観客全員がダーク・ボガードとともに極楽浄土に昇天してしまったのではないでしょうか。

 しかし、ここは「一時間は喋れるくらい歴史的背景知ってる」加藤です。15世紀には世界に覇を競った都市国家ヴェネツィアです。「朽ちたデカダンの匂いがヴェネツィアの街自体にしているわけ」です。徹底したこだわりが加藤らしいところです。

 本作品を制作するまでに「ヴェネツィアには六回くらい行っているし」、安井かずみは当地で歌詞を書き上げています。その結果、ヴェネツィアに実在する「ハリーズBAR」を始め、「首のないマドンナ」など、歌詞にはヴェネツィアの風物が織り込まれています。

 「だからヴェネツィアの街自体が、本当に真空パックして収められたと思ってるんだ」と加藤は自信をのぞかせています。その真空パックに大きく寄与しているのはもちろんそのサウンドです。本作品の制作にはいつもと違う布陣で対応しており、独特の雰囲気があります。

 この頃、「ちょうどマーク・ゴールデンバーグを、全然関係なく紹介されて、『ご飯食べようよ』。ぱっと会ったとたんに気に入って」、「次一緒にやろうよ」と本作でのコラボが実現しました。ゴールデンバーグは伝説のニューウェイヴ・バンド、クリトーンズ出身のアーティストです。

 ゴールデンバーグはこの頃、日本でもサントリーのCMサウンドをプロデュースするなど活躍しており、その縁での邂逅だったのでしょう。この結果、本作品はいつもの布陣とは異なり、ゴールデンバーグとのコラボレーションを中心としたサウンドになりました。

 ゴールデンバーグの他には高橋幸宏、清水靖晃、浜口茂外也、稲葉國光、吉川忠英とこじんまりした編成でアルバムは制作されています。全体にニューウェイヴの少し醒めたような耽美感が漂っています。ヴェネツィアがもっとも輝いた時代にはぴったりです。

 ジャケットはここのところお馴染みになっている金子國義の絵画が使用されています。ダークな色合いがサウンドにとても合っています。こうしたアートワークへの気配りを含めて、ヴェネツィアへの愛が感じられます。加藤の美意識には感服いたします。

 残念ながら私はヴェネツィアには行ったことがありませんし、どちらかと言えばフィレンツェ派なのですけれども、この作品を聴いていると何度か訪問したような気になって愛着がわいてきます。まるで一編の映画を見た気になります。「ベニスに死す」だけではありませんでした。

Venezia / Kazuhiko Kato (1984 CBSソニー)

参照:「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」牧村憲一監修(スペース・シャワー・ブックス)



Tracks:
01. 首のないマドンナ
02. ハリーズBAR
03. トパーズの目をした女
04. 真夜中のバレリーナ
05. 七つの影と七つのため息
06. スモールホテル
07. ノスタルジア
08. ピアツァ・サンマルコ
09. ソング・フォー・ヴェネツィア
10. 水に投げた白い百合

Personnel:
加藤和彦 : vocal, keyboards, guitar, treatments
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Mark Goldenberg : synthesizer, piano, bass, guitar, etc.
高橋幸宏 : drums
清水靖晃 : sax
浜口茂外也 : percussion
稲葉國光 : double bass
吉川忠英 : mandolin