加藤和彦によるいわゆるヨーロッパ三部作の劈頭を飾る作品です。ヨーロッパなのにヘミングウェイというところが素敵です。ヘミングウェイはヨーロッパにとっては異邦人、加藤のヨーロッパに対する複雑な心持がよく映し出されているものと思います。

 「パパ・ヘミングウェイ」と題されていますけれども、歌詞にはヘミングウェイへの言及はありませんし、その作品を匂わせるところもありません。それなのに、ヨーロッパを後にして、大西洋航路をアメリカへと帰還するヘミングウェイの姿が色濃く刻印されています。

 加藤と作詞を担当している安井かずみはこの作品のために50冊以上の本や資料を読み込んでいます。加藤は「ヘミングウェイの思想ってものを音楽に置き換えたらどうなるかってことで、また違う世界を作り出す手法に興味があって、あれを作った」と語っています。

 わたしはこの話を読んで、素直に感動しました。アーティストとしてとても誠実な態度だと思います。ヘミングウェイの作品に寄りかかっておらず、それでいてその思想を完全に自分のものとして見事に再構築してみせた作品だということです。かっこいいです。

 この作品は、バハマのコンパス・ポイント・スタジオで録音されています。このスタジオはアイランド・レコードのクリス・ブラックウェルが1977年に作りました。AC/DCの「バック・イン・ブラック」などで一躍有名になりましたが、これはそれ以前、ごく初期の録音です。

 メンバーは、ドラムに高橋幸宏、キーボードに坂本龍一、ベースに小原礼、ギターに大村憲司という布陣です。ここにフロリダのミュージシャンによる管楽器が加わり、さらに佐藤奈々子がボーカルで参加して、これで全部です。海外録音だけに少数精鋭です。

 いわば高級合宿で制作されており、メンバーは同じ空気を吸いながら、テーマについて議論したりしながらアルバム制作に臨んだものと思われます。バンドとしての一体感がかなり色濃く出ています。その洒落た演奏はまぎれもなく世界水準のものでした。

 タンゴながらとてもヨーロッパ的な「スモール・キャフェ」に始まり、「メモリーズ」で幸せいっぱいだったヨーロッパの思い出を歌いますけれども、アメリカに戻る船の中で、「アドリアーナ」は別れの手紙を書き綴ることになります。船旅は人生を噛みしめるに適していますね。

 豪華客船が「サン・サルヴァドール」から「ジョージタウン」へと向かうと、褐色の肌の「レイジー・ガール」がお出迎えという趣向となります。「アラウンド・ザ・ワールド」で旅を総括し、カリブ海で「アンティルの日」を迎えると、最後に再び「メモリーズ」を噛みしめて終わります。

 直接的なストーリーになっているわけではありませんけれども、統一感は見事なものです。レゲエやカリプソのリズムを取り入れた色彩豊かなサウンドが世界に向けた広がりを演出していて素晴らしいです。人生の3分の1をキューバで過ごしたヘミングウェイが微笑んでいます。

 1970年代の終りにこのような大きなテーマに誠実に向き合っただけでなく、お洒落の極致のようなサウンドに仕上げた作品が日本で生まれていたことはもっと知られるべきです。そろそろ再評価されてもよいのではないでしょうか。傑作三部作の始まりです。

Papa Hemingway / Kazuhiko Kato (1979 ワーナー)

*2013年12月1日の記事を書き直しました。

参照:「エゴ 加藤和彦、加藤和彦を語る」牧村憲一監修(スペース・シャワー・ブックス)



Tracks:
01. スモール・キャフェ
02. メモリーズ
03. アドリアーナ
04. サンサルヴァドール
05. ジョージタウン
06. レイジー・ガール
07. アラウンド・ザ・ワールド
08. アンティルの日
09. メモリーズ(リプライズ)

Personnel:
加藤和彦 : vocal, guitar
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大村憲司 : guitar
小原礼 : bass
高橋幸宏 : drums
坂本龍一 : keyboards
Mike Lewis : conductor
Mike Lewis : alto sax
Mark Colby : tenor sax
Cecil Dorsett : steel drums
Chuei Yoshikawa : mandolin
佐藤奈々子 : vocal