アーント・サリーのボーカリストとして、ベレー帽を被ったアナクロめいた姿でわれわれの前に現れたフューはまぎれもなく日本のパンク界のスターでした。その謎めいた佇まいはアイドル視しようとする人々を寄せ付けない孤高の魅力を放っていました。

 フューはアーント・サリーを解散した後、新興のパス・レコードから坂本龍一のプロデュースにてシングル盤「終曲/うらはら」を発表しています。この作品がまた素晴らしかったものですから、アルバムへの期待がいやましに高まりました。そこへ本作品の登場です。

 セルフ・タイトルのソロ・デビュー・アルバムはまったく意表をついたことにドイツで制作されました。それもクラウトロック界の大御所コニー・プランクのスタジオに、これまた重鎮カンのホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトと大物を迎えての制作でした。

 当時はこのニュースだけでくらくらきたものです。何でもシューカイはフューの「終曲」を聴いて気に入っていたことから、比較的スムースにこのコラボレーションが実現したのだそうです。メジャー・アーティストの海外録音とは成り立ちが違うんですね。

 そして、本作品は期待にたがわぬ傑作でした。集まったメンバーに期待されるサウンドがその期待を上回るクオリティで提示されています。演奏は見事にクラウトロック的ですし、フューのボーカルもいかにもフューらしい。その両者が組み合わさって傑作となりました。

 フューは歌詞も含めて即興で歌っているようです。へたうまとかそういうことではない、ノン・ミュージシャン的なボーカルは即興でますます光っています。歌詞は当然日本語ですが、そのことよりも歌いまわしが見事に日本語的です。そこが何ともいえず素敵です。

 その日本語がドイツ語的な演奏と絡み合うさまはある意味では素っ気ない感じがします。バンド的な一体感があったようにも思えません。ある意味では、お互いがお互いを理解できないままに制作されたのかもしれません。本作品への批判はそうした点がかかわっています。

 「アーント・サリー」をプロデュースしたロック・マガジンの阿木譲氏もその一人です。シューカイとの対談で本作品を否定する理由を問われ、「フューはボーカルだけのアルバムを作るべき」と発言しており、シューカイが「それは素晴らしい」と絶句したことを妙に覚えています。

 それもよく分かりますが、私にはこの異邦人セッションの魅力をとうてい否定する気にはなれません。完璧なサウンドなのにざらざらと耳に引っ掛かり続けるのは、そうした異種格闘技的な性格があるからではないかと思います。奇妙な傑作です。

 欧米のカンのファンの間でも傑作であると評価する人は多く、一時期はカン関連の作品の中で最も入手しずらい作品として垂涎の的だったようです。本作品は今では再発も配信もされており、人気ぶりが分かります。時代を超えた傑作ならではです。

 ところで、私は本作品の中の「ドーズ」という曲が大好きです。昔、田舎の山道を車で走っていた時に、深い霧に包まれてしまったことがあります。その時、ちょうどこの曲がかかっていたんです。これ以上ない最高のセッティングで心底から震えました。死ぬかと思いましたが。

Phew / Phew (1981 Pass)

*2014年5月21日の記事を書き直しました。



Tracks:
01. Closed
02. Signal
03. Doze
04. dream
05. Mapping
06. Aqua
07. P-Adic
08. Fragment
09. Circuit
(bonus)
10. Dream (alternate version)
11. Aqua (alternate version)

Personnel:
Phew : vocal
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Holger Czukay
Jaki Liebezeit
Conny Plank