アルシ・ジャインはインドのデリー出身で、現在はアメリカを活動拠点とするアーティストで、「インド古典音楽の伝統的な響きをモジュラー・シンセサイザーで再現するモジュラー・プリンセス」です。本作品は彼女のデビュー作「アンダー・ザ・ライラック・スカイ」です。

 ジャインは8歳の頃から北インドの古典音楽ヒンドスタニのボーカル・トレーニングを受けており、その後もラヴィ・シャンカル音楽芸術学院で学んだというインド古典音楽のエリートです。そんな彼女はアメリカの大学で大きなカルチャー・ショックを受けます。

 誤解する向きもありますが、インドの古典音楽は民族音楽などではありません。純然たる芸術音楽で、現在の形になったのはほぼ西洋のクラシックと同時期です。アラブもそうですが、インドの音楽宇宙はそれこそ西洋音楽の宇宙と並び立つさながらマルチバースなんです。

 音楽漬けだったジャインは、インド宇宙から西洋宇宙へとワープした結果、大きなショックを受けたわけです。一旦は音楽を離れて学業に専念しますが、ショックは尾を引き、大学を1年間休学してしまいます。しかし、彼女は強い。その後、再び音楽の道に戻ってきます。

 その際、彼女が選んだ方法論がインド古典音楽とモジュラー・シンセを組み合わせるというものでした。これまたインド人らしく、彼女はエンジニア/プログラマーとしても極めて優秀な頭脳の持ち主でした。ここからの彼女にはもう迷いはありません。

 当初はモジュラー・プリンセス名義で2019年にカセット・リリースでデビューしましたが、その後、名義を本名に戻し、レーベルもロスの実験音楽を中心にリリースするマシューデヴィッドのリーヴィング・レコードに移籍して、本作品の発表とあいなりました。

 本作品は夕暮れから夜にかけて聴くことが推奨されています。ヒンドスタニ音楽の中心をなすラーガと呼ばれる旋法は、一日のどの時間帯に奏でるのがふさわしいか決まっています。この作品に用いられているラーガは確かに日の出から夜のものです。

 アルバムには全6曲が収録されています。いずれもジャケットでジャインが持っているモジュラー・シンセサイザーを中心にサンプラーや自身の声を使って、ヒンドスタニ音楽を奏でています。ごくごく自然に受け止められるのはインド古典音楽の懐の深さでもあります。

 日本の雅楽公演がインドで催された際、インド人が驚嘆したのは古から守り続けて変化しないその姿勢でした。それに比べるとインドの古典音楽は基本となる型はあっても、変化し続けているということでした。その意味ではジャインの試みは伝統にのっとっていると言えます。

 テリー・ライリーの名前が引き合いに出されることからも分かる通り、即興を取り入れた電子音楽の延長にあるサウンドです。そのバックボーンにインド古典音楽があるわけですが、極めて自然な出会いであるように感じられます。今までありそうでなかったサウンドです。

 ジャインの作り出すアンビエント・シンセ・ラーガによるサウンドは決して押しつけがましくありません。日没の空気とともにただそこにある。インド古典音楽に作曲者の名前が大きく刻印されることがないように、ただただ世界を強くするサウンドがここにあります。かっこいいです。

Under The Lilac Sky / Arushi Jain (2021 Leaving)



Songs:
01. Richer Than Blood
02. Look How Far We Have Come
03. The Sun Swirls Within You
04. My People Have Deep Roots
05. Cultivating Self Love
06. Under The Lilac Sky
(bonus)
07. Live At Mezzanine, San Francisco 2019

Personnel:
Arushi Jain : synthesizer, vocal