映画「第三の男」のテーマ曲を演奏したことで世界に名を知られるアントン・カラスの作品集です。本作品はカラスが来日した1972年に東京で録音されました。リハーサルは1日、録音も大ハッスルしたカラスはわずか1日ですべてを録り終えました。

 この時、カラスはすでに65歳であり、スタッフはアルバム一枚を録音できるかどうか危ぶんでいたそうですが、打ち上げの席を含めて一番元気だったのはカラス自身だったという落ちがついています。当時は65歳というと高齢だと思われていたんですね。

 オーストリア出身のカラスは「チターと共に50年」のミュージシャンです。チターはもともとはスイス発祥の楽器で、形は日本の箏に似ています。ヨーロッパの民族楽器で、ハイリゲンと呼ばれる音楽居酒屋で弾かれるのが本来の姿です。

 そのカラスの演奏を一躍有名にしたのが「第三の男」です。これは監督キャロル・リードが偶然にカラスの演奏を耳にして惚れ込んでしまい、映画の曲をカラスにすべて任せる大冒険にうってでて、それが大当たりした結果です。

 カラスにとっては迷惑でもあったようですけれども、一躍スターとなったカラスの演奏は世界中の人に親しまれることになりました。ここ日本でも大いに人気を博し、来日も3度に及び、天皇陛下の前でも演奏を披露した話は語り草になっています。

 「哀愁の映画主題曲集」は名作映画主題曲13曲をカラスがチターで演奏した作品です。ただしチター単独ではありません。編曲は当時はまだ若かったギタリストの井上忠也で、伴奏はクラウン・オーケストラ、レコード会社の専属オケが担当しています。

 本作品が発表された1972年頃には、ステレオを持っている家庭にはかなりの確率で「魅惑のムード音楽」などと題するイージー・リスニング・アルバムがあったものです。映画の主題曲集はその王道中の王道ですから、本作品もぴったりその範疇に収まります。

 その中ではチターを中心にしたことで独特ですし、何といっても「第三の男」はカラスが自身のオリジナルに忠実に演奏していますから、凡百の魅惑のムード音楽から頭一つ抜けているといってよいでしょう。演奏からも確かにカラスは元気であることがわかりますし。

 副題には「第三の男から哀しみの終るとき」と名付けられました。「第三の男」は当然ですが、わざわざ「哀しみの終るとき」を持ってきたのは、ずばりジャケットに主演のカトリーヌ・ドヌーヴの写真を配したかったからだと思われます。おかげでカラスが裏ジャケにまわりました。

 曲は日本での流行りという軸で選ばれたものと思います。その「哀しみが終るとき」に加え、「メロディ・フェア」、「ある愛の詩」、「白い恋人たち」、「黒いオルフェ」、「鉄道員」、「愛のロマンス」などなど、時代も国も作者もけっこうバラバラですが、いずれも美メロ作品です。

 「哀愁の」とつけられている通り、チターのヨーロッパ・エスニックな香りが全体を覆っていてなかなか素敵です。アントン・カラスの演奏は本当に元気で、ハイリゲンで最小限の伴奏とともに演奏するカラスを見てみたかったなと少し残念に思いました。

Screen Music / Anton Karas (1972 クラウン)