「いち早くヨーロッパへ渡りベースによるソロを録音したバールが、イギリス出身の異才ホランドと組んだジャズ史上初めてのベース・デュオ」による1971年の作品です。デイヴ・ホランドとバール・フィリップスによる「禁断のデュオ・インプロヴィゼーション・ワールド」です。

 ホランドは本作品を録音した時にはまだ24歳と若いですが、マイルス・デイヴィス・クインテットでの演奏で一躍有名になっており、このアルバムでも名前が先に来ています。もともとウクレレから始めたというエピソードがいいです。どんどん楽器が大きくなる。

 一方、フィリップスはホランドよりも一回りも年長で、エリック・ドルフィーやアーチー・シェップなどと演奏してきており、1968年の初リーダー作品「ジャーナル・ヴィオロン」はベースによるソロ作品で、ヨーロッパではかなりの話題を呼んでいます。

 敬愛する間章氏はフィリップスを高く評価しており、「彼はこのソロ・アルバムによってベースの可能性の極限を追求すると共に、ベース自体のそしてベース演奏の概念をことごとくにおいて書き換え、ベースを新しい地平にまで導き出したのであった」と書いています。

 本作品は、フィリップスがソロ・アルバムで「切り開いたものをさらに具体的にもう一人のベーシストとのコレスポンダンスにおいて展開したものであり、ベースの歴史においても、探究的なジャズの歴史においても記憶すべきアルバムと言えるものであった」と間氏。

 フィリップスは「ベースの中にはあらゆる振動とあらゆる波動が含まれているのです。それはベースを演奏しようとする私とベースの前にもそして後にも広がり、おそらくは限りない宇宙規模にまで広がっているのです」と間に語っています。

 本作品で聴かれるベースのサウンドに身をゆだねていると、フィリップスの言葉が染み込んできます。「私が演奏するということは、単に私だけが演奏するということではないと思われます」。彼の演奏はまるで観念的ではなく、きわめて具体的、身体的です。

 間氏はホランドには厳しく、「ホランドとの差が余りに大きく、ホランドが若く荒いという印象を強く感じずにはいられない」と書いています。マイルス・デイヴィスを全く認めない間氏ですから、ホランドに厳しいのも当然かもしれませんね。

 本作品ではA面に「即興曲」と題された二曲のインプロヴィゼーションと、B面に5曲の作曲行為を経た楽曲が収録されています。そちらはフィリップスが2曲、ホランドが3曲の割り振りです。ホランドはベースの他にチェロも使っています。

 エレキ・ベースではなくて、もちろんウッド・ベースですから、よりその振動と波動をニュアンスに至るまで堪能することができます。大きな音でリズムを刻むことを使命としてきたベースですが、ここでは全くそんな地平をはるかに越えています。

 豊潤で濃密な低音が即興の真髄を示してくれているように感じます。二人の共演はこの作品を含めても2作しかなく、本作品の後は道を分かっていきます。ホランドがベース・ソロを録音するのはこの6年後のことです。フィリップス師匠への思いはいかばかりだったのでしょう。

参照:「バール・フィリップス『マウンテンスケイプス』のためのノート」間章(間章著作集II 月曜社)

Music From Two Basses / David Holland/Barre Phillips (1971 ECM)

見当たらず。申し訳ありません。