フューの新作「ニュー・ディケイド」です。いろいろな作品があちこちから出ていますけれども、気分としては20年ぶりの新作だった「ニュー・ワールド」に続く作品と言いたいところです。どちらもタイトルに「ニュー」が入っていますし。

 「『新しい』ということは、決してもう『より良い世界』を意味しない」とフューは語ります。日本のパンクではフリクションに「ニュー・センセーション」という歌がありますが、その頃、1980年頃の「ニュー」と今の「ニュー」は確かにまるで意味合いが違います。

 過去から未来に向けて一直線に時間が流れ、それを進歩と認識するおめでたい時代はもはや去ってしまいました。音楽の世界でも、デジタル楽器の登場で音楽の可能性は大いに広がりましたが、それは過去の音楽から進化したというわけではないのでしょう。

 フューは本作品について、「最初にアルバムのコンセプトを用意して曲を作っていったわけではなくて、とにかくまずは音を出してみて、すると次の音が生まれていく」、「自然と音が出てくるプロセスが形になったのが今回のアルバムです」と語っています。

 それはコロナ禍の「生か死か」という状況で、音楽とどう向き合うかをずっと考えてきたフューが、結論が出ないままに、「とにかくプロセスを大事にしたい」と思ったことと整合的です。「言い換えるなら完成させないということです」。

 「プロセスの中で何かが形になることがあって、そうしたものが自分にとっては次につながっていきますし、これからも生きていこうという気分にもなる」のだと。なるほど、そういう言葉を聞くと、本作品のサウンドがすんなりと腑に落ちてきます。
 
 もちろんちゃんとした曲になっているのですが、どの曲も結論がオープンになっているようなそんな気分になります。アルバムを聴き終えた時に、終わったという満足感に浸るのではなく、前を向いて何かをしようという気になるんです。

 アルバムはやはりフューの声の魅力が大きいです。彼女は歌は楽しいけれども、その技術を高める方向にいくと、「「すごく難しい曲を譜面通りに歌えた!』という喜びで終わってしまうのは違うな」と、彼女の歌の秘密を垣間見る発言をしています。

 そこでヴォイスです。「そうではない形でも音楽に参加できる。私はやっぱり音になりたいんですね。声を用いて、音の一部になりたい」。ユーチューブでの日本昔ばなしに連なる語りもその一つ、本作品ではそのヴォイスが全6曲中5曲で大活躍しています。

 そしてサウンドは最初のソロ・アルバムを思わせる部分もあり、ここにもこだわりのない自由が眩しいです。アナログ・シンセから、かき鳴らすギター、共演の長嶌寛幸のシンセに山本精一のアンビエントなギター。それらが織りなすサウンドの綾がいいです。

 さらに塩田正幸の写真がいいです。日常の風景ですが、そこに少し言葉が写っています。「感謝して」、「くだもの」、「しばらくおまちください」。これがフューの声とサウンドと重なります。この一枚一枚を曲にカウントしてもいいくらい。トータルな傑作です。

参照:「Phewの音楽は完成しない。『プロセス』から生まれた新作『New Decade』を語る」(細田成嗣)MIKIKI 2021

New Decade / Phew (2021 Traffic)