ジャック・ジョンソンは1900年前後に活躍した伝説の黒人ボクサーです。黒人が差別されていた時代に白人のヘビー級王者を叩きのめしたのですから、その反響たるや凄まじく、白人社会からは徹底的に憎悪されています。大変な人生です。

 そんなジョンソンにマイルス・デイヴィスがシンパシーを抱かないわけはありません。ジョンソンのドキュメンタリー映画に曲を付ける機会を与えられたのですから、マイルスも張り切ったことでしょう。そのサウンドトラックがこのアルバムです。

 本作品は、マイルス自身が「イン・ア・サイレント・ウェイ」に始まる「創造的で新しい時代」、1969年からの数年間の傑作を生み続けた時代の作品でもあります。前作までとは大きく異なるロック全開の作品となっており、「創造的」という言葉をよく現わしています。

 マイルスはジョンソンやジョー・ルイスなどの偉大なボクサーを思った時に汽車が走ってくるイメージを思い浮かべ、「車輪が線路の切れ目を走っていく、一定のリズム」を取り入れます。しばしばヘビー級のボクサーを形容する際に重機関車が使われる、あれです。

 「レコーディングの時にオレの頭にあったのは、ジャック・ジョンソンがパーティー好きで、騒いで踊るのが好きだったから、いかに音楽を黒人的にするか、いかにブラック・リズムを取り込むか、いかに汽車のリズムを黒人的に表現するか」。

 そして極めつけは「ジャック・ジョンソンが生きていて、これを聴いたら、踊り出すだろうか」ということでした。その狙いはあやまたず、重機関車が走る「ライト・オフ」はロック的なリズムが延々と反復していく、誰もが踊りだしそうな曲になりました。かっこいいです。

 この演奏は1970年4月に録音されたもので、メンバーはギターにジョン・マクラフリン、オルガンにたまたまスタジオに現れたというハービー・ハンコック、ベースはマイケル・ヘンダーソン、ドラムにビリー・コブハムという布陣です。

 全2曲中のもう1曲「イエスターナウ」では、当初クレジットはありませんでしたが、2月に行われた別のセッションとつぎはぎされています。こちらはまるで異なるメンバーで共通しているのはマイルスとジョン・マクラフリンだけです。

 他のメンバーはチック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・デジョネット、バスクラのベニー・モウペン、ギターのソニー・シャーロックで、より当時のレギュラーに近いです。この布陣による「ウィリー・ネルソン」が曲の半分くらいを占めています。

 その他にもマクラフリンのソロやマイルスのソロも別に録られたものを重ねているようで、プロデューサーのテオ・マセオの手腕が光ります。ザッパ先生の編集の妙ほどではありませんが、本作品のロック的な性格に一役買っているものと思います。

 レコード屋さんはロックかジャズかどっちの棚に置いたらよいか迷ったそうですし、レコード会社も売り方が分からず、まるで宣伝しませんでした。そんな不遇なアルバムですが、マイルスの最高のロック・アルバムとして今ではカルト的な人気があるようです。面白いものです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

A Tribute To Jack Johnson / Miles Davis (1971 Columbia)