ヴァンゲリスのポリドール移籍第一弾は中国をテーマにした一大叙事詩です。タイトルはずばり「チャイナ」です。このアルバムは評判も高く、日本盤も当然のごとく発売されていました。私がリアルタイムで買った初めてのヴァンゲリス作品でもあります。

 ヴァンゲリスは、このアルバムを制作した時にはまだ中国に行ったことはなかったのだそうです。しかし、長年、中国人に並々ならぬ興味をもってきたそうで、政治というよりも、古い中国と新しい中国、巨大な国とそこに住む人々を本作品で語っています。

 1979年の中国と言えば、日中国交正常化はなっていますし、毛沢東時代から鄧小平時代に移行していますけれども、まだ本格的な改革開放はなされておらず、日本にとっても近くて遠い国でした。今の北朝鮮のような国だったんです。

 戦後生まれの日本人で中国に行ったことがある人も少なかったはずで、こと新しい中国に関してはヴァンゲリスと一般の日本人との間に理解の深浅があったわけではないと思います。日本の中国理解も四書五経、三国志、水滸伝、西遊記どまりでした。

 ヴァンゲリスの中国への情熱は本物で、それは収録された曲のタイトルからも分かります。それぞれ漢字で邦題が書けます。「中国」(つづりが中国語です)、「長征」、「龍」、「梅花」、「愛の道」、「小宴」、「陰と陽」、「喜马拉雅山」、「頂上」です。

 このうち「小宴」とした「リトル・フェイト」は李白の有名な漢詩「月下独酌」を英訳したものを中国人が朗読しています。「ヒマラヤ」は易経に関係があるそうですし。神話の時代から、道教を経て、陰陽五行説などを通って、中華人民共和国に至る絵巻物です。

 サウンドの方は本格的な中国の音楽とのフュージョンとなっているわけではありませんけれども、シンセを中心にして、中国っぽいなと思わせる旋律や楽器の音を配置しています。これくらいが一番ヴァンゲリスらしくてよいのではないでしょうか。実に必要十分な塩梅です。

 この作品は彼のディスコグラフィーに並べるとRCA最後の作品「霊感の館」とポップ全開の「流氷原」の間に位置します。「霊感の館」もセールスは好調でしたが、「流氷原」の翌年には「炎のランナー」ですから、本作品はヴァンゲリスの人気が爆発する直前の作品といえます。

 さらに言えば、この頃までには、RCAでは我らが冨田勲、ポリドールではジャン・ミッシェル・ジャールがシンセサイザー音楽でチャートを普通に賑わせるようになっていました。シンセに対する難解神話も解け、時代はヴァンゲリスにとって実に好意的になっていたのでした。

 そんな時代背景にあって、ヴァンゲリスは厚いベールに包まれた中国という題材に触発されて見事なアルバムを作り上げたのでした。ほどよくポップ、ほどよくプログレ。しかも中国の思想や歴史に軽くフックをかけていて、深掘りが可能になっています。

 この当時のシンセ音楽は本作品のように、テーマを設定してそれを軸にサウンドを組み立てていくものが多かったように思います。アンビエント的な発想はあまり見られず、ロマン派的な標題音楽となっています。ヴァンゲリスはその名手です。

China / Vangelis (1979 Polydor)