ロンドンから起こったパンクの波は英国中を席巻しました。「パンクより素晴らしいものはそれまでなかった」。ビッグ・カントリーの中心人物スチュアート・アダムソンの言葉には当時の英国の若者の気持ちがあふれ出ています。

 すでに地元スコットランドでバンド経験もあったスチュアートはさっそくザ・スキッズなるバンドを結成し、3枚のアルバムを発表しました。まだスチュアートは二十歳前後だった頃です。パンクはデビューのハードルを極端に下げていたことが分かります。

 多くのパンク・バンドと同じく、ザ・スキッズは短命に終わります。スチュアートはやがて同じく短命に終わったパンク・バンドのブルース・ワトソンと意気投合して曲作りに励みました。ここにドラム、キーボード、ベースが加わってビッグ・カントリーが誕生しました。

 しかし、このラインナップはうまくいかず、スチュアートとブルースは残りのメンバーを、ザ・スキッズ時代に前座を務めたこともあるバンド、オン・ジ・エアーのトニー・バトラーとマーク・ブレゼジッキーの二人に代えます。これが功を奏しました。

 時はニュー・ウェイブの時代となっており、パンク一辺倒ではなく幅広い音楽性を素直に表現することができるようになっていました。もともと音楽的な素養の深い四人にとっては、いよいよ本領を発揮できる地合いになったわけです。苦節5年です。

 本作品は1983年7月に発表されたビッグ・カントリーのデビュー・アルバムです。プロデューサーは当初ロキシー・ミュージックなどで有名なクリス・トーマスが当たりましたが、ケミストリーはうまくいかず、当時売り出し中のスティーヴ・リリーホワイトに交代しました。

 この起用は双方にとって大変ハッピーだった様子です。スティーヴはとりわけ「マークとトニーみたいに才気あふれるリズム・セクションと一緒に仕事ができて、本当にうれしかった」とセッション・ミュージシャンとしても活躍していた二人のことを高く評価しています。

 さらにスチュアートのギターもべた褒めです。U2のジ・エッジはザ・スキッズ時代のスチュアートのプレイに大きな影響を受けていると広言しています。聴けば一目瞭然です。ザ・スキッズもビル・ネルソンがプロデュースしたりして、大したバンドだったんですね。

 本作品は最高のラインナップで制作されたことがよく分かる生気溢れる傑作です。アルバム冒頭を飾る「インナ・ビッグ・カントリー」はバグパイプのようなギター・サウンドが映える力強いロック・サウンドで彼らの代表曲となっています。畳みかけるボーカルがかっこいいです。

 さらに一瞬ピーター・ガブリエルを思わせる「チャンス」など捨て曲なしの骨太アルバムです。英国では「スリラー」や「レッツ・ダンス」と同時期に3位、実に80週もランクインしました。米国でもトップ20入りで、結局200万枚を売ったと言いますから大ヒットです。

 パンク少年たちの理想的な音楽人生となったビッグ・カントリーはこの後も良質な作品を生み出していきます。武骨なのか繊細なのか、ビジュアル系なのかガテン系なのか、何ともいえない魅力を持ったバンドの一丁目一番地となる見事なアルバムでした。

The Crossing / Big Country (1983 Phonogram)