当時は問題作とされたことでしょう。マイルス・デイヴィスの「イン・ア・サイレント・ウェイ」です。ここのところのエレクトリック路線はさらに進み、もはや旧来のジャズの領域からはかなりはみ出したサウンドが展開していきます。もはや電気は標準装備になりました。

 そもそも出だしのオルガンからしてプログレッシブ・ロックを想起させてくれます。誰もこの作品をプログレとは呼びませんが、それはジャズの大巨人マイルスがいるからで、プログレのジャズ・ロック派に分類しても違和感はありません。ロックの人にはその方が親しみやすい。

 とはいえ、ジャズ側からすれば、これはフュージョンの先駆けとされています。ウェザー・リポート、リターン・トゥ・フォーエヴァー、マハヴィシュヌ・オーケストラとフュージョンの柱となるバンドの主要メンバーが揃っているのですから、それも素直に首肯できます。

 本作品は1969年2月にスタジオで制作されました。マイルスは「ジョー・ザヴィヌルの作品が好きだったから、電話して、何曲かスタジオに用意してくるよう」指示、その中の1曲がタイトル曲となりました。その他の二曲を作ったのは「オレだ」ということです。

 この当時、マイルス・バンドは、ウェイン・ショーター、チック・コリア、デイヴ・ホランド、ジャック・デジョネットという布陣でしたが、この作品では、ハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスが戻ってきています。デジョネットは参加せずです。

 そこにザヴィヌルと英国のギタリスト、ジョン・マクラフリンが参加して本作品が制作されています。マクラフリンはデイヴとトニーの紹介で、トニーとの共演を聴きにいったマイルスが「あまりにすばらしかったから誘ったんだ」そうです。

 タイトル曲は、ザヴィヌルが書いたままだと雑然としている印象を持ったマイルスは、「そこに隠されたとても美しいメロディー」を生かすべく、「オレはコードの書かれた紙を捨てさせて、全員にただメロディーを演奏し、その後もそれだけを基に演奏するように指示」しました。

 マイルスは「すばらしいミュージシャンが揃ってさえいれば、状況に応じて、そこにあるもの以上の、自分達でできると思っている以上の演奏が生まれることが、オレにはよく分かっていた」と意図を明かしています。結果は「すごく新鮮で、美しい音楽ができあがったんだ」。

 このプロセスはマイルス本人も稀代の名盤「カインド・オブ・ブルー」を引き合いに出して説明しています。ザヴィヌルはマイルスが手を入れたことを今でも良しとてしていないようですが、それはザヴィヌルにはかなり分が悪いと思います。

 本作品はそうしたマイルスの指示に従って、メンバーが即興演奏を繰り広げたものをプロデューサーのテオ・マセロが編集して出来上がっています。そうしたプロセスも含めてとてもロック的です。マイルスも「ロック的なサウンドにしたかった」と言っています。

 私にとってはプログレ・ジャズ・ロック派の音楽です。さすがにジャズ界の大巨人は、若いプログレッシブ・ロック勢とは格が違います。その堂々たるサウンドはマイルスならではです。これはこれでマイルスがまた一つの高みを記録したということなのだと思います。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

In A Silent Way / Miles Davis (1969 Columbia)