マイルス・デイヴィスは愛する女性をジャケットに起用する人です。今回登場しているのはベティ・メイブリー、ベティ・デイヴィスの名で歌手としても活動していた人です。フランシスと1968年2月に離婚した後、早くも9月にはべティと結婚しています。

 ディープ・アフリカンに描かれているベティはマイルスにジミ・ヘンドリックスやスライ・ストーンなど、ブラック・ミュージックの新しいスターを紹介することで、マイルスの音楽に大きな影響を与えました。さらにファッションも。ベティによってようやくスーツから抜け出しました。

 この作品はベティの影響が色濃くでたアルバムです。題して「キリマンジャロの娘」、巷ではマイルスが出資していたキリマンジャロ・アフリカン・コーヒーにちなんで付けられたタイトルだと評判です。いろいろとエピソードに事欠かないマイルスです。
 
 本作品はマイルスにとって多くの変化に満ちた1968年の6月と9月のセッションの音源からなっています。この間にメンバーの異同があります。6月は例のクインテットですが、9月の録音ではハービー・ハンコックとロン・カーターの名前が見当たりません。

 代わりに入ったのはピアノのチック・コリアとベースのデイヴ・ホランドです。ちなみにこの間ベーシストはショート・リリーフでミロスラフ・ヴィトウスが入っていたそうで、そちらの音源が収録されていないのが残念です。チェコのベーシストとの取り合わせも面白そうです。

 そして久しぶりにギル・エヴァンスがスタジオに戻ってきており、彼のアイデアが取り入れられています。「プティ・マシャン」は後にギルのアルバムにも収録されますし、ベティに捧げた「マドモワゼル・メイブリー」はマイルスとギルの共作となっています。

 しかし、マイルスの自伝にはこの時期のギルとの共同作業に関する記述はありません。この作品の頃は流動化するメンバーに対し、エレクトリックの導入などをマイルス自身が力強く主導していたことから、ワンマン体制を意識して敷いたのではないでしょうか。

 そんなマイルスは冒頭から飛ばしています。1曲目の「フレロン・ブラン」、英語では「ブラウン・ホーネット」はもろにジェームス・ブラウンの影響を受けた迫力のあるアフリカンなファンク・チューンです。マイルスの名前がなければジャズに分類する人はいない曲です。

 これは9月の録音で、最初はエレピを嫌がったというチック・コリアが参加しています。もう私はこの曲だけで充分です。さらにギルとの共作で同じく9月に録音された「マドモワゼル・メイブリー」はジミ・ヘンドリックスの「風に消えたメアリー」を取り入れています。

 ジミとマイルスの二人は実際に交流があり、音楽談義を繰り広げています。この頃、マイルスはジミやジェームス・ブラウン、スライ・ストーンを真剣に聴いていたそうで、その影響をストレートに打ち出しつつも絶妙な距離感を保つという凄いことをやっています。

 この後、黄金のクインテットは解散してしまいますし、直後に名盤が続くので過渡期的にとらえられがちなアルバムですけれども、ジャズ史やマイルスの個人史から切り離して、60年代末のブラック・ミュージックの歴史に置くとしっくりくる作品だろうと思います。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Filles de Kilimanjaro / Miles Davis (1969 Columbia)