ぽちっとするのを忘れてました。バックデート投稿ですみません。

 ジャケットを飾るのはマイルス・デイヴィスの新しいパートナー、シシー・タイソンです。ジャケットに写真を使ったことで、付き合いが知れ渡ることになったそうですから、衝撃のカミングアウトでもあったわけです。芸能マスコミを手玉にとるマイルスです。

 このジャケ写は素敵ではあるのですが、この作品と兄弟関係にある次作「ネフェルティティ」の方がこのジャケットに相応しいと思います。ソーサラーはマイルスのことだし、ネフェルティティは古代エジプト、アクナーテンの奥さんですから。しばしば混乱してしまいます。

 本作品は1967年5月16日、17日、24日の3日間にニューヨークのコロンビア・スタジオで録音されました。スタジオ入りするまではずっと西海岸で演奏しており、5月9日はロサンゼルスでレコーディングまでしています。一曲だけ本作品にボートラ収録されています。

 西海岸にはロン・カーターは同行しておらず、ベースにはリチャード・デイヴィスやバスター・ウィリアムスが参加していました。ボートラではバスターが演奏を担当しています。もちろんニューヨークはカーターの演奏ですが、どうも彼は出たり入ったりしていますね。

 この作品では若いメンバーによる新曲ばかりが演奏されています。ウェイン・ショーターが4曲、トニー・ウィリアムスとハービー・ハンコックが1曲ずつです。クインテットのステージはともかく、新しい録音作品はこうして生み出された新曲が中心になっていきました。

 ますます若いメンバーの力が前面に出てきており、ウィリアムスの曲「ピー・ウィー」に至ってはマイルスは演奏すらしていません。それでもアルバムを通してマイルスの存在感はますます際立っています。いつもよりもトランペットのパートが多いような気さえしてしまいます。

 ショーターが作曲した「プリンス・オブ・ダークネス」は後にマイルスのニックネームになりました。ハンコックの曲「ソーサラー」、すなわち魔術師はマイルスのことです。要するに各メンバーもマイルスをインスピレーションとして曲を書いているわけです。

 大監督マイルス・デイヴィスが全体をプロデュースしていることは明かです。こうしてスタジオで丁々発止のやり取りを経て生み出された楽曲ですけれども、マイルスのステージで演奏されることは稀でした。マイルス自身としてはプロデューサー気分だったのかもしれません。

 さて、本作品には1曲、1962年8月に録音された「ナッシング・ライク・ユー」がおまけ的に収録されています。ギル・エヴァンスがアレンジしたボーカル曲でジミー・コブやポール・チェンバースなどに加えて、ウェイン・ショーターが参加していることが収録の理由でしょう。

 恐らくプロデューサーのテオ・マセオはファン・サービスのつもりで収録したのでしょうが、これは評論家のみならずファンの間でも激しい怒りをかってしまいました。アルバムの流れを全く無視した蛮行とされています。ボーナストラックとでも書いておけばよかったのに残念です。

 怒りをかってしまうのも本作品が高く評価されているがためです。クインテットの演奏はまたまた一皮むけたように晴れやかですし、しばしばマイルスが魔術をかけたと言われるのもよく分かります。1950年代のジャズからは遠くにやってきたなあと感慨深いです。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Sorcerer / Miles Davis (1967 Columbia)