「マイルス・スマイルズ」、マイルスが笑っています。脚韻を踏んだタイトルは英語らしくて素敵です。マイルス・デイヴィスは各アルバムのタイトルを付けるのが大変に上手いです。その中でも一二を争う名タイトルなのではないかと思います。

 プラグド・ニッケルでのライヴからしばらくした1966年1月、マイルスは今度は「肝臓の炎症で具合が悪くなって、また3月まで演奏できなくなってしまった」ということです。再び理想のクインテットを手に入れたにもかかわらず十分な演奏ができないとはもどかしかったでしょう。

 回復して西海岸のツアーに出ましたが、この時はベースのロン・カーターが参加できず、リチャード・デイヴィスが代わりに参加したそうです。ロックと違って、ジャズは入れ替え自由なだけになかなか落ち着かないのが玉に瑕ですね。

 その西海岸ツアーでは大学で演奏することが多かったのですが、同じ場所で同じような酒飲み相手に演奏するジャズ・クラブよりも楽しかったようです。マイルスの後の変貌の兆しともいえるのではないでしょうか。新しいタイプのジャズの聴衆です。

 本作品はその後、1966年の10月に録音されました。ニューヨークのスタジオには1963年以来避け続けてきたテオ・マセオが待っており、久しぶりに因縁浅からぬテオのプロデュースでスタジオ・アルバムが制作されました。

 演奏はもちろん件のグレイト・クインテットで、マイルス、カーター、ウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、トニー・ウィリアムスという鉄壁の布陣です。本作品はこのカルテットが残した作品の中でも、最高傑作と言われることもある名盤です。

 いつもはCD化に際して、別テイクなどがボートラで入るのが常ですが、この作品にはそれがありません。何と全曲をワンテイクで録り終えているんだそうです。おまけにアルバムの最後には♪テオ、テオ、テオ、テオ♪と呼ぶマイルスの嬉しそうな声まで入っています。

 会心の出来となったアルバムは全6曲中3曲、すなわち半分がウェイン・ショーターの曲になっています。後はマイルスが1曲、カバーが2曲ですから、ショーターの作曲家としての活躍ぶりが目立っています。ジャズ・クラブよりも大学が似合うのもそのせいかもしれません。

 マイルスは「このレコードじゃ、オレ達が一所懸命新しいことを求めて、手を伸ばしていることがわかるはずだ」と本作品について語っています。確かにそれまでのジャズの王道をいくサウンドとは感触が異なり、むしろ後のフュージョンとも近い印象を受けます。

 ショーターやハンコック、ウィリアムスの後の活躍ぶりを知っていますから、マイルスの延長とみることも、三人の原点とみることも可能です。いわゆるジャズに囚われない自由奔放な演奏が魅力です。5人それぞれの迫力ある演奏に我を忘れてしまいます。

 私の一押しは「フットプリント」ですが、ウィリアムスのリズムがかっこいい「フリーダム・ジャズ・ダンス」もいいです。まあ6曲とも全部かっこいいわけですが。アルバムのサウンドも後の変化への序章となっているように思います。マイルスは転がり続けていました。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

Miles Smiles / Miles Davis (1967 Columbia)