アラニス・モリセットの登場は衝撃的でした。「ユー・オウタ・ノウ」の激しく呪詛を浴びせる絶唱には背筋が凍ったものです。時は1995年、マドンナの活躍はありましたが、まだ女性アーティストがステレオタイプにはめ込まれていた時代です。

 アラニスは母国カナダで1991年に17歳でデビュー・アルバムをリリースしています。カナダでは大きなヒットとなり、順調に2枚目のアルバムを成功させますが、そこはそれ、19歳で単身アメリカに渡ります。アメリカ市場で勝負してなんぼというところがあるのでしょう。

 ロスアンジェルスに移り住んだ彼女は、カナダのパブリッシャーにプロデューサーのグレン・バラードを紹介されます。バラードはマイケル・ジャクソンやパティ・オースティン、ポーラ・アブドゥルなどとの仕事にかかわってきた、そこそこ名の知れたプロデューサーでした。

 本作品はアラニスがバラードの全面的な協力を得て完成させた全世界デビュー・アルバム「ジャグド・リトル・ピル」です。マドンナが主宰するマヴェリック・レコーズからの発売となったのも感慨深いものがあります。マドンナとは共感するところも多いでしょうから。

 マヴェリックはそれほど期待していなかったようですが、アルバムのリード・シングル「ユー・オウタ・ノウ」がラジオでヘビロテされるようになると、その人気に火が着き、続けてカットされたシングルともども、そのPVが話題を呼んで人気は雪だるまのように膨らみました。

 アルバムは全米1位となったのはもちろん、1年以上もチャートインするロングセラーとなり、1996年の米国年間チャートも制しています。人気は米国のみならず世界中に広がり、結果的に世界中で3000万枚を売り上げるモンスター・アルバムになっています。

 史上最も売れたデビュー・アルバムと言われることも多いですが、カナダでデビューしていますから合点がいきませんね。ただし、カナダ時代の楽曲はどすの利いた歌声はあるものの曲は基本的にはダンス・ポップを中心にした典型的な女性シンガーのそれでした。

 その彼女が「ユー・オウタ・ノウ」で見せたのは、髪を振り乱してシャウトする姿でした。当時、米国に根付いていた激しいグランジの系統に位置するサウンドにのせて歌う彼女の姿はセクシーでも可愛くでもない男性からの目を意識しない自然な女性の姿なのでした。

 この曲にはレッチリのフリーとデイヴ・ナヴァロ、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズのベンモント・テンチがゲストで参加しています。まさにオルタナ仕様です。他の曲と同じくアラニスとバラードの共作で、歌詞はもちろんアラニスによるものです。

 アルバム全体がグランジ仕様ですが、グランジにはバラードが似合うことを忘れてはなりません。轟音が響かなくても深く深くえぐってくるんです。アラニスのやや太めの情感豊かな声は恐ろしいまでに迫力があります。女性ボーカルの地平を変えた作品の一つでしょう。

 発表当時、アラニスはよくジャニス・ジョプリンと比較されたものです。その後、アヴリル・ラヴィーンやケイティ・ペリーなど彼女をリスペクトするアーティストも大変多いです。女性シンガー・ソングライターの系譜の一つの太い幹が見えてきます。大変な作品です。

Jagged Little Pill / Alanis Morissette (1995 Maverick)