スピッツは今でも現役ですけれども、1990年代のJポップを語る上でなくてはならない存在です。キャッチーなメロディーのヒット曲の数々はどことなく歌謡曲のテイストも漂うちょうどよいロックで、カラオケに映えること映えること。私も歌いました。

 そんなスピッツですが、何と出自はパンクです。草野マサムネが田村明浩と結成したバンドはパンクを目指していたといいます。バンドは一時活動を休止しますが、やがて三輪テツヤと崎山龍男を加えた四人組で本格的に再出発しました。

 彼らが目指したのは新宿ロフトでした。新宿ロフトといえばパンクの殿堂でした。私も東京ロッカーズを見に行ったことがあります。そんな新宿ロフトとスピッツのヒット曲がどうにも結びつかなかったのですが、どちらもパンクから少しずつ変化していたのですね。

 スピッツは念願かなって1989年頃から新宿ロフトに出演するようになり、やがてマンスリー・ライヴを開催するようになります。そうなるとCDデビューも時間の問題ですが、彼らはしっかりと時間をかけて所属先を選び、1991年にようやくデビューしています。

 この作品はそのデビュー曲から15枚目までのシングル曲を時系列で網羅したベスト・アルバムです。ベスト・アルバムとしては1997年に「リサイクル」と題した作品が発表されており、そちらは250万枚を売る大ベストセラーとなっていました。これはその改変盤です。

 スピッツはベスト盤を出すときは解散する時だと明言していたにも係わらずレコード会社が勝手に「リサイクル」を出したとしてひと悶着ありました。パンクです。時を経て、スピッツの態度も軟化し、解散はしませんが、こうしてようやく全員ハッピーなベスト盤にたどり着きました。

 律儀に並んだシングル曲を聴いていくと、パンクというかグランジ的なバンド・スタイルの演奏もありますし、ストリングスやブラスを用いたいかにもJポップ的な演奏もあり、時と共にスピッツも変化してきていることがよく分かります。

 大ブレイクしたのは1995年の「ロビンソン」で、これが11曲目と、意外に前史が長いです。ヒットし始めたのはやはりテレビ番組とのタイアップ戦略によるところが大きいです。この頃のヒットの法則です。まだまだテレビが元気な時代でした。

 その好例が大ヒット曲「空も飛べるはず」で、「ロビンソン」よりも前に発表されていますが、大ヒットしたのは1996年のドラマ「白線流し」の主題歌となってからです。こんな名曲なのに発売時はさほど注目されなかったというのが今となっては驚きです。

 スピッツはJポップ仕様の派手な曲もありますが、意外にちゃんとバンドです。U2と同じ編成で、草野の透明なボーカル、三輪の結構派手なギター、田村のベースと崎山のドラムがタイトなリズムを刻んでいきます。初期の曲に顕著ですが、その芯は変わっていません。

 歌詞も適度に抽象的で叙情に流されない潔さがあります。この頃は音楽活動が楽しくて仕方がなかったのではないかと思います。メンバーはまだ20代、パンク精神は死なず、Jポップ界に新しい風を吹き込んだのでした。さすがはスピッツです。

Cycle Hit 1991-97 / Spitz (2006 ユニバーサル)