ペドロ&カプリシャスは「別れの朝」の大ヒットでデビューしましたが、アルバム2枚を残してメイン・ボーカルだった前野曜子がソロとして独立してしまいました。誰の目にも明らかな危機でしたが、2代目ボーカリストをスカウトした彼らは更なる大ヒットを放ちました。

 2代目ボーカリストは誰あろう、今でもソロとして大活躍する高橋真梨子、大ヒットは「ジョニィへの伝言」と「五番街のマリーへ」です。ペドロ&カプリシャスと言えば、むしろこちらを思い浮かべる人の方が多いことと思います。凄いことです。

 高橋真梨子はまだ二十歳そこそこです。16歳の時に本格的なボーカル・レッスンを受けるために上京していましたが、高校卒業後、地元福岡に帰り、ライヴハウスで歌っているところをペドロ梅村にスカウトされたとのことです。ペドロ梅村の目は確かでした。

 新生ペドロ&カプリシャスの第一弾シングルが1973年3月の「ジョニィへの伝言」でした。続いて10月には「五番街のマリーへ」です。どちらもヒット・チャートで言えばトップ10には入っていないのですが、年間チャートにも顔を出すロングセラーなところが凄いです。

 アルバムは同年5月に高橋をフィーチャーした作品が出ていますが、「五番街のマリーへ」がヒットしたことで、11月に本作品が登場することになりました。もちろん「ジョニィへの伝言」はどちらのアルバムにも入っています。ついでに「別れの朝」高橋版も入っています。

 さて、本作品はA面とB面でまるで趣きが違います。まずA面は歌謡曲路線全開です。「ジョニィへの伝言」、「五番街のマリーへ」を始めとする阿久悠作詞、都倉俊一作・編曲の楽曲はストリングス全開で、ペドロ&カプリシャスの姿はほとんど見つけられません。

 一方、B面は、自由にやらせてもらいます、とばかりに彼らのファンキーでラテンな演奏が全開です。全6曲が洋楽のカバーで、それもサンタナと並ぶラテン・ロック・グループ、アステカの「ピース・エブリバディ」や、ラテン・ファンクのウォー「シスコ・キッド」などです。

 極めつけはマンボの王様ティト・プエンテの「ア・ゴザ・ティンベロ」です。この三曲はペドロ梅村の趣味全開で、高橋のボーカルはほとんど入っていません。高橋のボーカル入りの曲もスティーヴィー・ワンダーの「迷信」やロバータ・フラックの「やさしく歌って」とソウルです。

 こちらが本来のペドロ&カプリシャスなんでしょうね。ペドロもまだ30代前半と若く、生きのいいグルーヴが聴こえてきます。当時、テレビを見ているだけの人には高橋真梨子がグループにいる必要があるのか疑問に思えたでしょうが、彼らはしっかりグループなのでした。

 高橋真梨子はこの時点ですでに完成しています。ちょっとハスキーな声で情感豊かに歌う彼女は堂々たるものです。「迷信」で聴かれるファンキーもかっこいいです。しかし、阿久悠・都倉俊一コンビの世界にあまりにはまっており、独立も時間の問題だったんでしょうね。

 後に高橋とペドロ&カプリシャスが40年ぶりに共演した際、ヒット曲に加えて、高橋が「ブラック・マジック・ウーマン」を歌ったと聞いて何だかほっこりしました。バラード歌手として大きな成功を収めた高橋も原点はペドロさんのラテン・グルーヴだったんですね。

Kareinaru New Pops No Sekai / Pedro & Capricious (1973 Atlantic)