マイルス・デイヴィスと4人のミュージシャンが対峙する名演として知られるライヴ・アルバムです。元は2枚に分けて日本でのみ発表されたものですが、後に何と8枚組の完全版CDが発表されるなど、ファンの間では大変に人気の高いアルバムです。

 とはいえ発表されたのは1976年と、実際の演奏に遅れること10年以上です。この頃のマイルスはといえば、問題作「ビッチズ・ブリュー」を発表した後で、エレクトリック・マイルスなどと言われていました。昔の演奏を懐かしがっていた人も多かったのでしょう。

 さて、本作品は1965年12月に2週間にわたってシカゴの有名なジャズ・クラブ、プラグド・ニッケルにて行われたライヴを収録したアルバムです。より正確には22日と23日の演奏です。メンバーはウェイン・ショーターが加わった、いわゆるセカンド・グレイト・クインテットです。

 マイルスは同年4月にお尻の手術をしましたが、術後はよくなく、8月には再手術をするはめになってしまいました。そのため、11月に「『ヴィレッジ・ヴァンガード』に出るまで、まったく演奏しなかった」そうです。約7か月間のブランクがあったわけです。

 11月のライヴは「すばらしいカムバック・ステージになって、演奏の評判もすごく良かった」とマイルスは語っていますが、続く12月のこのライヴはキャンセルしたいと騒いだのだそうです。ブランク明けの不安定な状況に加え、フランシスと別れた心労もたたったのでしょう。

 しかし、コロンビア・レコードのお偉方はマイルスに損害賠償を請求すると脅しをかけ、ようやくこのライヴが実現することになりました。もともとライヴ録音をする準備を進めていたようですね。「テオ・マセロがやって来て、彼がレコーディングをやったんだ」。

 ロン・カーターは「ヴィレッジ・ヴァンガード」には出演していなかったので、クインテットが揃うのは本当に久しぶりのことでした。「『プラグド・ニッケル』ではいつもやっているような曲を演奏したが、新鮮な気分になれた」とはマイルスの感想です。

 マイルスが休んでいる間、四人はもちろん休んでなどおらず、それぞれが精力的に活動しています。たとえばドラムのトニー・ウィリアムスは、ウェイン・ショーターやハービー・ハンコックの参加を得て、リーダー・アルバムを録音していました。

 四人はまだ若かったですし、当時はフリー・ジャズが根を下ろしはじめていた時期ですから、どんどんフリーに傾倒していったことは想像にかたくありません。その成果がこのアルバムに現れており、それがこのアルバムの輝きの淵源となっています。

 フリーに冷たいマイルス対四人の若者という構図で語りやすいサウンドになっているんです。マイルスがいつものようにソロを終えてステージを降りると、俄然4人の演奏がフリーっぽくなっていく感じがします。それが大そう面白いです。

 馴染みの曲ばかりなのに、「ソー・ホワット」が超高速になっていたり、確かに新鮮です。それにしてもなぜ10年間もお蔵入りになっていたのでしょうね。今では当たり前のようにライヴ直後に発売されたかのような顔をしてディスコグラフィに鎮座しています。

参照:「マイルス・デイヴィス自伝」中山康樹訳(シンコー・ミュージック)

At Plugged Nickel, Chicago / Miles Davis (1976 ソニー)