サブサハラ・アフリカから奴隷を連れてきたのは何もヨーロッパ人ばかりではありません。それ以前にイスラムはアフリカを席巻しており、14世紀くらいには西アフリカからモロッコなどのマグレブ地方に多くの民が奴隷として連れてこられたとのことです。

 そうした奴隷たちとイスラムのスーフィー歌謡が交わって誕生したのがグナワと呼ばれる音楽です。しばしばスーフィー・ブルースなどと呼ばれます。出自を聞けば、アメリカで誕生したブルースと同じですから、まさにブルースの兄貴分にあたる音楽です。

 イノヴ・グナワは2014年にニューヨークのブルックリンでモロッコ出身者によって結成されたバンドです。中心人物はマスターを意味するマアレムの称号をもつハッサン・ベン・ジャアファーです。1962年にモロッコのフェズで生まれています。

 ハッサンはマアレムの称号を持つ父からグナワの伝統を受け継ぎ、マグレブを演奏して回っていましたが、1990年代後半にニューヨークにやってきて以来、彼の地で働きながら、グナワ音楽を演奏してまわり、やがて若いモロッコ人たちとイノヴ・グナワを結成しました。

 次第に人気を獲得していった彼らは2018年に英国のボノボとのコラボ「バンブロ・コヨ・ガンダ」がグラミー賞の最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされ、一躍有名になりました。大きなフェスにも出演していますし、共演の申し込みも多く、米国に地歩を固めています。

 この作品は彼らの演奏を見たダプトーン・レコードからの招待を受け、ブルックリンのスタジオでイノヴ・グナワが行った5時間のセッションをアルバムにまとめたものです。すべてがワンテイクで録られたのだそうです。スタジオ・ライヴです。

 グナワは、ゲンブリと呼ばれる三弦のベース・ギターにカルカベと呼ばれる鉄製のカスタネット、そして声というシンプルな編成で演奏されます。ここではハッサンがゲンブリを演奏しながらボーカルをとり、四人がカルカベを演奏しながらコーラスをつけるクールファイブ仕様です。

 マアレムともなるとステージ衣装も自分で作れば、ゲンブリやカルカベもスクラッチから作り上げなければならないそうです。それくらい伝統をしっかり身につけなければならない。ですから、ここで披露されるスタイルは四半世紀もアメリカにいるとは思えないモロッカンです。

 タイトルの「リラ」は夜という意味で、音楽による癒しの夜を捧げる伝統的なグナワの儀式を表しています。先祖や精霊を呼び出したりと、一連のスピリチュアルな儀式になっており、身体を浄化する作用があります。いかにも宗教的な歌謡です。

 ハッサンは深みのあるベース・サウンドを弾きながら歌います。奴隷に付けられた鎖を象徴するカルカベを鳴らす四人もハッサンの歌にコール&レスポンスで応えます。ゲンブリのサウンドはあくまでシンプルですし、カルカベも派手ではありません。むしろ隙間が多い。

 パキスタンのカッワーリーなどとも地続きですし、トゥグレク人の砂漠サウンドとも近い。恍惚のリズムが洪水となるというよりも、じわじわと迫ってきます。そこが圧倒的な解放感を感じる所以でもあります。これはなかなかに恐ろしい中毒性の高いアルバムです。

Lila / Innov Gnawa (2021 Daptone)